疲れが取れないでいる。嫁が来院、頼んでいた、杖・ガーゼ・綿棒・等々は、私の治療等に掛る部分で、今後、退院後 看護師に頼れないので、己で行う必用がsるので、練習という事で購入して来てくれた。パンツも持ってきてくれた。来週の水曜日の入浴時から使いたいと考えている。オシメからヤット解放される。長かった。今、病院側が、退院後の透析医院の段取り、入浴とリハビリが出来る施設の手配等を行って貰っている。退院すると、色んなサービスが受けられる。又、前回のブログにも書いているが、白内障の治療も、入院中は出切んないとのこと、退院すれば、可能という事に成る。
納税者の負担を減らす為に、医療制度・介護制度がドンドン、四角四面に向って得要っている。勿論、全ての人が四角四面の普通の人だけで構成されているなら、其れも良いと思う、しかし、私が入院している病棟・・・普通の人達だったと思うが、お見舞客も来られない、呻き声を発して居られる。人生の終焉の時がこの状況なのかと思う。よく高齢者が又、朝目覚めたと悔いてある人を多く見てきた。要はこの世に未練が無い早く迎えに来てくれと言う事、この病棟内も同じと思う。私も何度も死なしてくれと頼んでいたが、死なしてくれなかった。生きなければ~~~その為には体を治さなければ、社会に居る意味が無いと、動く部位だけでも運動を続けて今の状態まで回復・・・・医療機関・人達・等々の献身的努力の結果だと思うし、その恩に応えるためには、回復する事しか恩を返す事は出来ない。私はこの様に考え日々を過している。しかし、今日の看護師は厳しく、動く都度にナースコールを押してと言う、理由は、転倒の前科が二回有るからとのこと、頑張れば失敗も間違いも起しやすくなる。頑張っている証拠だと捉えている。この様な行動を行っているのは、この病棟で私だけ、体を元に戻したいと思って居られないのか???書きたく無いが、木曜日に一人の患者さんをストレッチャーに乗せてエレベータに向かい移動してあった。今回は、看護師さん二人と、葬儀屋さんの様な人一人で、亡くなっていたと思う、この病棟に移り、何度も観ている。家族が付き添う人も居るが、殆どが看護師と、葬儀屋の手で、病院から出られている。この様な状態を望んで、現役時代、過して居られたのか???まさか。知らなかったと成れば、教える親の世代の人達の責任なのか???当然、この世に居る可能性が低い人達に責任を押しつけても意味ない、何故、この様な価値観で生きてきたのか???先のブログにも書いているが、幸福を求めただけ・・この幸福は心・命が感じる部分、其れなのに、唯物的部分しか注視できない価値観に染められ・・優秀な消費者で死ぬまで消費・医療機関等を儲けさせる生き方をしている。先ずは、生物としての幸福・目的は、子孫を残す。人間は寿命が長い、上手に世代交代を行えば、四代目の子を見ることも可能で有るし、私もひ孫の顔を見たいと思って居るし、義母は玄孫の顔を見るまで死ねないと言って居られる。生物種として一つの幸福だし、目的でも有る。後は、家族が大人数に成るので、その対応・責務をどう果たすかが幸福に繋がるし、目的にも成る。私の場合、此に加え親族も。その為に、社会貢献等、ようゆうがないのが現実、しかし、村内の事くらいはと色々、行ってきたが今後出来るのか???出来なくなってから後悔が大きい、早い時期に改革してない慣習等、変えるべき部分も多々有ったが村内では青二歳と言われる立場、今後と思っていたが遅かった。
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