今日も,向かいの人が吠え、騒ぎ続けられている・・・限界こえると,浄土の般若心経の一説の短い文言を,俺は詳しいと言わんばかりに、呪文のように唱えてあるし、繰り替えされる。要は土着信仰の他力本願的,価値観で、助けてくれと般若に縋っていることになる。この思想感・価値観・仏教として間違いと網ので,私が捉えている仏教感を説明・・・・釈尊の、その当時の背景・・・王族の王子、妻も子供も儲けていたがお城の中での生活が基本、外の世界等見せようともしない取り巻き・・・世間を知りたいと,少し世間が解り,貧窮している人の多さ、負の連鎖・損の連鎖に愕然とされ,シャカ族の王様になる地位と、妻・子を捨てお城を出られ、世間にその為には修行が必用と,バラモン等の修行を重ねられるが,悟り得れないし、当然,民衆も何の変化も無い・・・釈迦は特別な世界に居すぎた事に成る。此に気付き、庶民の中に入って、万相談の様な事をされて居た時の,言動が経典になっている。釈迦の名が悩みを解決できたという評判で、釈迦にしがみ付くような人が増える,その中の一人の婦人、有名な話になるが,幼子の実子を亡くした・・この苦しみ・悔い・苦悩から救って下さいと,釈迦に泣きつき付いた。釈迦曰く「簡単な事です!!!親族・血族で,死人が出ていない人と縁したら・・・苦悩もスッキリ無くなります」と・・・・婦人は必死に,探し回る,親族・血族から死人を出していない人・・・・当然居ない・・・・私だけのと言う限定した苦悩という物はない・・・・人全て平等と言うこと,特別な人等居ないと言うこと。この部分で特別のスパーを求めるのが,一神教世界と,大陸的な価値観・・・・唯物的にしか理解できないので,能力の数値になる。しかし、世界で起きている,スポーツ選手の振舞い等が,世界の価値観を変えてきている。成績・スキル・スペックに関係無い部分が注目されてきたと言うことは,此が人々が命の本質部分で求めていると言うのも解ってきた。
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