右の頬を叩かれたら左の頬を出せ・・・・ある宗教を表現した言葉に成る。
本来、宗教とは、道徳では無い・・・哲学のその上が宗教と言われる。
戦いを避ける例として、右の頬を叩かれたら、左の頬を出せと・・表現されたと思うが、
本来、生物なら、痛みを感じる事は、避けるはずである。
その為に、先ず、叩かれない事が大事に成る・・・・痛みから遠ざかる方向を目指すし、己の欲を楽に叶える方向を目指す・・・
之が生物だと私は考えている。特に、人間の場合、頭が有るので、この方向に目指す可能性が高いし、本能と言ってもよいと考えている。
五男は、己の欲・・良い顔をしたい等が有って、要は法を犯した・・・・しかし、彼の周りは、その様な行動を当然として行っている。考え様では、薄々、法に違反すると思っていた・・・又、法を犯した結果を知ろうとしなかった。
何度も書くが、無知で馬鹿だったと言う事・・・結果、摘発を受けた。
ここ迄は、本人も理解している様だが・・・無知の為に、その後の処置が予想を超えた事で、本人は、反省と言うより、悔やんでいる状態に成る。
之も書いているが、悪ガキの私の上の息子達なら、当然・・・法を犯した結果の処置を知っている。知っているから、用心するし・・・簡単に書けば、逃げる策を色々、知っている。
事柄に対して、優秀な子が智恵が無く・・・悪ガキが智恵が有ると言う事にも成る。
先に書いた、右の頬を叩かれる・・・之を避ける為の、策・方法を知恵として知っている子供が、悪ガキの場合が多いと言う事・・・
優秀な子の場合・・・右の頬を叩かれると思っていない・・その為に、叩かれる事を避ける策も方法も考えていない・・・・この状態で、左の頬を出せ・・・出来る訳が無いが・・・結果的に、法的処置で、左の頬も叩かれる事に成る。
要は、一つの問題が発覚したら、現代は、ボコボコに滅多打ちされる状態と言う事にも成る。
しかし、若し、力が有れば・・・叩く人が叩けなくなる・・・簡単に書けば右の頬を題しても、なでる人は居ても、叩く人が居ないと言う方向を目指す人間も出て来る。
本来の、言葉の意味と違う方向に向かう・・・争いを止める考えだが、趣旨と違ってくる。
要は、奇麗ごとは表現できるが、現実の表現し難い部分に、力を付ける・・・之が、進みだす・・・
ある一神教の世界が有る・・又、それ力は、今や世界の頂点と成っている。
又、その世界を、確実化する為に、新天地を求めて出来た国も有るが、その国が今は世界一の国・・・何が世界一か、当然、武力と言う事に成る。
嫌われ者で力が無い・・要は私の様な存在なら・・・直ぐに叩かれる・・・私は嫌だとは考えない・・・当然と考えている・・・何故か???・・・私は叩く立場を目指していない・・・結果、叩かれても仕方が無い立場と思うし、それが悪いとは思っていない事に成る。
この様な部分が、本来、哲学を越える、宗教観に成る・・・・
嫁が、四男夫婦が喧嘩する、それに対して、己が耐え切れず・・行動する。之を愛情と思っている。
私は、喧嘩する事は、生きているから出来るし、双方がこの方向が良いと言う意見の相違が有るから、論戦が結果的に、大声に成って、喧嘩と見える状態に成っているだけである。考え様では、各々の思いを、言い合う・・対話を行っている事に成るし、若いから、ついつい行き過ぎて居るだけと言う事に成る。
この様な、考えなので、愛情が無い・・・結果、何を求めているのか、要は敵・味方と言う発想に成る。息子が可愛くないのか????孫が可哀そうと思わないのか???
敵は、若嫁と言う図式に私が参戦する事が有以上と言う事になるらしい・・・・
私は、世の中に有る、負を誰が背負うのかを、何時も考えている。
何故か???背負える力も無いし、人間として、三流の為に・・・誰が背負うのかと、傍観者の様に見ている状態である。
しかし、誰も居ない、又、問題が発覚すると、直ぐに逃げ去る人々の多さに、驚く状態に成るが、結果的に、その人の対面している、人間が、私以外に居なくなってしまい・・・仕方が無いと言う思いで、力は無いが、少しは手伝われると、取り組むことに成る。
要は、関係性が一番薄いし・・・当然、価値観等も一番違う人の、世話をする事に成る。
理由は、何度も書く様に、仕方が無い・誰も他に居ないと言う理由に成るし、当然、他に居れば、価値観が大きく違う人、縁する事は無いと思う。
之も、道理だと説くのが、仏教に成る。
己の振舞いが大事だし、その振舞いの中に仏が要るかと言う事・・・勿論、仏とは地獄・餓鬼・畜生等々も含んでいる。
次元とあえて言えば、全ての次元で仏が居ると言う事・・・間違っても一神教的、スーパーヒーローでは無いと言う事に成る。
仮に、神は寛大で、罪を言えば、相殺してくれる・・それならノアの大洪水等起きないはずである。
仏教も、この流れに影響を受け・・・仏を神格化し、寛大である、信じれば助けて貰えると言う流れに、向っているが・・・実際は違う・・・
又、現実では、不可能の為に、彼の世・死んだ後の世界でと言う、方向に持って行っている。
要は、現実をどう捉え・・どう対処していくかと言う、生きる知恵の底辺部分に、宗教と言うのは必要だが・・・それが表に出る事が、宗教心が強いと言う・・・方向に成る。
結果的に、威張って言える、状態に成る事が、宗教心が強い人の振舞いと成って行く、この事は、力を持ち、結果的に、武力を持っていて、誰も、叩かない・・・右の頬を差し伸べてのも叩かない状態を目指している事に成る。
逆も又、真と言われる・・・叩かれている人が、真なのかも知れないと言う事にも成る。
要は、右の頬を出したら、滅多打ちされ、大人数からボコボコされる人も居る。同じ行動をしても、撫でられる人も居る・・・・その違いは????
優秀だから???劣っているから???・・・・正直だから???嘘つきだから???・・
等々、色んな理由が有ると思うが・・・私は、単に、力が有るか無いかだと考えている。
その為に、漠然として力と言う部分に憧れを持つのが人間と言う生物だと私は考えている。
何故、憧れを持つのか????当然、叩かれない為に成る。
しかし、仮に力を持ち、叩かれない存在に成ったら・・・何を目指すのか???・・他から搾取を叩かれない立場なら、簡単で有るので、目指す人が居ると思う。
それで得た、ものは?????・・・・これを還元できる人に成れと、一神教世界では言っている。要は、力が有るスーパーヒーローに成れと言う事・・・
しかし、100搾取したものから~~~どれ程・・還元できるか???ヒーロー神に近い存在なら、当然、200の還元だ出来るはずだが・・・現実は、10にも及ばない・・・
此処りは、当然、同じ様な思いで、スーパーヒーローを目指す、人に奪われる事に成る。
この様な世界の、終演が近づいていると私は考えている。
例として、毎年、日本国で一日30人以上た亡くなっていた、インフルエンザ・・・それでも社会活動は円滑に出来ていた。
当然、高度治療等、行わない状態で亡くなられる人も多々居たと思う。高齢で肺炎に進行したインフルエンザ・・・家族に診療方針を尋ねられ・・亡くなられた人も居たと思う。
葬儀の際に、家族が、高齢で、癌等々患っていたが・・・最後は、インフルエンザによる肺炎で亡くなったと・・・聞いても誰も驚きもしなかった。
しかし、今回の感染症・・・・経済に大きな影響を与えている。体力が有る人は良いが・・・無い人は・・・その部分を私は今回の感染症が話題に成る出す時に書いている。
耳障りの良い、奇麗ごとで進むなら、当然、経済に大打撃を受ける・・・単純な話、人の命とお金、どちらが大事か????・・・・しかし、先に書いている様に、家族が診療方針を尋ねられ、高度医療を望む人が何人いるか????身内、特に親の生死に関係する部分でどう判断しているか????・・・・この部分が、現実である。
奇麗ごとでないと言う事・・・・この現実を無視した方向に進めば、当然、大変な事に成る。それを解っていて、その方向に進める、人も居る。
要は、幸福とは、対比と考えている人に成る。対比なら、周りよりと言う事・・・周りが劣れば、当然、留まった方は、幸福感が高くなる。
特に、勝ち負け論が強い人にその方向性が強い・・・要は、敵の足元を壊す、策を戦う前から仕掛ける事に成る。
個人主義が蔓延する、民主主義国家が、この策に弱いと成る。
己の対面だけが大事と言う、価値観に染まってしまえば・・・・当然、人の命が大事だと言われて、否定できない・・・しかし、己の親の面倒や介護を行っているか????・・・その部分は、言わないと言うより、隠す・・・
人の命を己の命と捉えている事に成る。
勿論、己の命をどう捉えているか?????・・・他が為の命と捉えているなら、私一人の命で多大な迷惑は掛けられないとも成る。
要は、人様が考える、己の命・・・大事だが、色々有ると言う事・・・
それを一つの方向で、論議すれば、当然、大事だからと成る・・・大事も色々有ると言う事・・・
それと奇麗ごとには真実が無いと言う事に成る。
タイトルに戻るが・・・一神教国家と言われる、国が多々ある・・ある宗教が国を動かしている国も有るが・・先に書いた、右の頬を叩かれる、事に対して、どう振舞っているか???それを感じると思う。又、右を叩かれたら、左を差しだすか???・・・当然、解ると思う。