昨日から今朝まで、本業が久しぶりに忙しかった。
その為なのか・・急に疲れが・・・良い疲れを感じている。
今日は、五男も昼に帰って来た。
エイプのオイル漏れ・・・気に成るが・・・髪を切りにと次男の学友の美容室に向かう前に、バイク屋でオイルの入れ替えを指示した。
オイルの量の見方も知らないので、教え・・・量が少ない・・・オイル交換を指示した。
父親として、息子達に教えるべきものが時代とともに増えている。
私も、昔、父に自転車の掃除の仕方等々・・・教わった。
又、当時の自転車、直ぐに錆びる・・・・今の時代の錆と違い・・・形を無くす方向にボロボロに崩壊する方向に向かう・・・昔なので、ミシン油を布に付け、磨いていた。
自転車の価格・・・私が乗れるようになる、四十年代は3万円位だったと記憶している。
当時の初任給が2万円を切る位・・・・自転車の価格が給与の1.5倍の時代に成る。
今なら、自転車が30万すると言う事に成る・・・その自転車の鉄の材質が悪く、直ぐに錆びると成れば、当然、整備・点検も大事と思うし、それ以前に磨くと言う事が、日課に成っていた時代でもある。
現代なら、原付スクーターの値段に近いと言う事に成る。
金銭感覚は同じだが・・・その品物の耐久性等が大きく違う事に成る。
現代、放置していても、直ぐに錆びる等は無い・・・正常に使える状態が長いし、その為の、手入れ等も殆どいらない。
私の子供の頃、ウインカーが点く自転車等が出て来たが・・・乗る時間より、磨く時間が長っかったかもしれない・・・
人とは不思議な存在だと思う・・・・手が掛かり・面倒が当然と思っている時は、何の不満も抱かず、対処している。
しかし、一旦、楽に成れると、この様な部分に不満を持ちだす。
手が掛かり、面倒この捉え方が、色々有ると言う事に成る。
不便を楽しむと言う考えも有る。
不便と言う事は、その分、手が掛かるし、面倒と言う事は、己の体を使う事に成る。
この様な事が、コストと考えれば、コストの捉え方も、色々有ってもよいと私は考えている。
現代は、コストを安くと思う人が多い・・・特に最近多いのが己のコスト・・高額に思っている人が多い・・・・結果、些細な事もしない・・お金に成らない事をしないと言う考えにも成って行く・・・
私の家族は、私のコスト等、意識していない、要はタダだと思っているので、色んな依頼をしてくる。
これに慣れている私の場合、ゴミの分別等も苦にならなくなっている。
所詮、三流の、コスト等言えない立場・・・される仕事、作業が有るだけ、幸せと思う様に成っている。
この様な感覚が、結果的に、地域事のお手伝い等々、感謝できる方向にしている可能性が有る。
無駄と言う事は、無いと言う考えに私は、歳と共に成って行った。
大きく言えば、無駄な人など居ない・・この様に成る。
不思議だが、私の様な価値観に成ると、頼まれ事が増える・・・この事は、仕事が増えている事に成るが、当然、金銭的対価は無い・・・之をどう捉えるかも各自の感覚に成る。
若し、この様な振舞いを馬鹿と捉える人は・・・この様な部分は誰がすればよいのか???・・・答えが出ないと思う。
出ても、家族が親族が、地域がと縁の強い人がすればよいと考えている人が多い、逆に考えれば、その人も縁の強い人が居る、その人からこの様な雑用・下働きを頼まれたら????当然、喜んでするだろうか???私は疑問が有るし、不満が出て来ると思う。
何度も書くが、負の部分、損の部分は、誰が担うのか????・・・・テレビ等では、利他主義的に言動するが・・・その様な人達が、負や損に対しては、直ぐに、他に責任を転換している様に見える。
力が有るなら、当然、背負える度量も大きいと思うが・・・・何故か、器は有っても気持ちが・・・・と言うなら・・・・・気持ち・心・その部分を考えさせる・学びに成る方向に何故しないのかとも思う・・・・
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