餓鬼道や畜生道に身を落とし続ける人が増えている。俺さえ良ければ、「弱肉強食」のこの世界が俺に向てると思い込んで、周り・人との競争に明け暮れて、勝つ事が快感となるような刷り込みさえ行われている。本当に畜生道の世界で人間は生きれ最強なのか、人の中では最強でも、他の野生の動物等と比べれば劣っている。小さなネズミと人間と、自然・ジャングルに放置、どれ程の期間耐える事が出来るのか・・・・・報道等で、自然が好みで経験豊富な人が遭難、連絡が付かない状態に成ると、2週間も経てば、略、死亡して居られる。自然が好みで経験豊かな人も、自然の中では生きていけないレベルが人間、私は野生の動物より人間の方が判断すると、劣っている思う。だから、人は集団で生きる動物だし、他の人のお陰で生かされていると考えている。個で生きる無謀さ・・・俺は誰の手も借りてない、俺は人の手を借りていないという言い訳で、人様に奉仕が出来ない人も増え続けている。動物で下等と思われる鶏・・卵を温めるのは親だが、生まれた後は、己で立ち上がり、動き回り、己で餌を取り出す。要は、卵から生まれたら、己で生きる力が有る。後は外敵に襲われないかの問題と言うこと、優秀である人間なら、生まれたら、何もしなくて、己で生きる事が出来る子が生まれると思うが、現実には無理である。動物の世界なら俺が頂点だと目標を決め生きる道もある。しかし、人間が此を行えば、破滅に向う・・・・何故か、その辺に居る動物より仮にネズミ・虫のゴキブリより弱い・・・一人で、放置されれば、直ぐに命の危機が来る。動けてもこの様になる。放置、人との関わりが無くなるとこの様になるが、何故か、人は個を求め、俺俺という方向に進んでいる。末法と言う時代と思う、戒めやルール・モラルを守らないのが自由と思い、我侭の振舞が出来るのが優秀で力が有る証拠という方向にも成っている。
此も日本国でも起こった、明治維新で一番、負を背負ったのが、家臣・武士である。大名・殿様等は、伯爵等の貴族として扱われたが、武士が一気に一般人になって、当然、お金も稼げない状態に成る。この不満を私は西郷隆盛が、西南戦争で、不満分子等が減り、その後の日本国の平等意識に大きく影響していると思う。借りに平等と言って喜ぶ、階級レベルは???私は虐げられていた下層レベルの人だと思う。逆に怒り・不満に感じる人は搾取を続ける上層レベルの人・・・しかし、人とは己に箔を付けたいと先祖を良く言おうとする。結果、レベルの高い層に居たと言いたがる。もし、そのそうに居たら、その後の動乱で大変な事に成っている。勿論、中途半端なクラスになる。農地解放も、占領軍が居たから可能だったと思う。負けた国だから仕方が無いと成る。しかし、勝っている国と思い込んでいるなら、当然、大きな反対の圧力が出てくる。日本は恵まれていると思う。大きな改革が外圧で起きているので、内乱等が少ない。仏教思想には己は凡夫だと捉える、要は弱く劣っているし、失敗も間違いも起す、厳然たる劣等生と重ることから始まるし、周利範読が良い例である。釈尊は、私の心・境地を理解しているのは、周利範読で有ると言われている。唯物的に優れていない。しかし、心・命を部分は釈尊と同じという事・・・・「私は成仏・悟りを獲たいとは思わない、しかし、兄弟子達の雑用のお手伝いをさせて下さい」この評価されない、目に見えない、肩書きに成らない、己の身に成らないことを率先して行いたいという、この心が菩薩になる。一神教の世界でも、宗教離れが進むのが末法である。結果、各宗教がドンドン、原理主義、俺が正しいと大きく手を挙げ出す。此が何を意味するのか????
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