以前から危惧していた事、西欧化・一神教化・大陸化の価値観がグローバルと受入れ続けてきた戦後の日本、その教育で育った初期の人達が高齢化になっている。勿論、人の親・社会人として頑張ってあったと思うが、何の為等の目的が、戦後は、個人主義に向かい、個に成っている。この個人個人が各々、自由を求めているし、当然、己の我欲を満たせることを自由と思い込んでいる。この様な集団・社会を統治するためには、当然、支配という力が必用に成る。人の真心に期待する等々言えない状態に成る。結果、ルールがドンドン四角四面になっていくし、何も言動出来ない、簡単に書けば、機械の歯車として動くのが人間という方向に成る。私が日頃から、民度が大事だと書き続けている理由がこの部分、私が思う民度とは、民衆としてどう振舞うかだと思う。個人として出ない・・・・民衆の為・社会の為と己の言動を考えている人々が民度が高いと私は勝手にいっている。この様な人が多ければ、ルールも厳格にする必要も無いし、罰則も必要性も無い。集団の統治も容易いし、民衆を見なくて、対外的な方向に目が向くことになる。集団の長は内向きに意識するより、外向きに意識を持った方が集団の方向性が良くなると思う。その為には、何度も書くように民度が大事になる。統治が楽なら、支配という部分も強く意識しないで良い・・・支配、庶民の耳障りの良い事を言い続け、イエス・イエスと肯定する意見と持っていく・・・同調圧力も有るので、その意見が民衆の意見となっていく・・・洗脳し支配すると言う、方法になるし、此が世界的標準・・・要は個々の自由を求めるために、力を持ちたいと考えている。その為に力が有れば弱い立場から当然搾取できるという価値観に成る。だから絶対に弱音を言えない・・・見栄を張り続ける事に成るし、張りぼての社会と言うことにもなるし、個々が人の足を引っ張る、弱肉強食の世界と言うことになる。此が常識の価値観、人様の為、無償の奉仕等々、一般人は出来ないと思っているし、時には人の物を奪っても罪悪感も無いと言う価値観に成るし、この様なタイプは逆の立場に成ると被害者コスプレで、勝った相手の足を引っ張る・・・この様なルールを決めていくのも、民度が低下しているからになる。勿論、己の命・己の為に有るが、どう使うかは各自の価値観・・・・己を守り続けても最終的に死に無になる。この有限的名部分の唯物的部分だけを求めて生きても意味が有るとは思わない・・・・デイケアを利用して、つくづくその様に思うように成った。若いときの生き様が、影響しているようだ、私は一にでも早く、人様の役に立てるようになりたいし、その量を増やしたいと思っている。誰の為に生きるのか、母が言っていたように色んな守を行い最後に墓守をして一人前、その後に己が事と言っていたが、私の場合、周りの家族や人々の支えで過ごせている・・・・己の事を考えずに頑張った結果が今だと思う。今回の入院で、務めていた会社の社長から、大金の見舞金を頂いたと嫁は言って居た。会社の為と頑張るから社長とも喧嘩を何時もしていた。しかし、この会社を大きくしたい、私みたいに問題が有る人間を雇用してくれた恩は、一人でも写真を増やす事と、お金を稼ぐことに全力を尽くしていたので、家庭等々、無視状態だった、結果、従業員、私一人から、退社の時には二十人程に増えていた。この事をオンと感じた社長が、見舞金として表してくれたと感謝している。
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