2025年4月20日日曜日

基本は無・・・・

 現代は物質を追い続け物質の評価で、人の力や幸福度を第三者が判断している。本当に十分で満足しているならそれ以上の物質は求めないが、何故か求め続けるのも人間である。要は欲深いという事に成る我欲が増すばかりが生きるという事に成っているし、この事は幸福感と全く関係無いのだが、関係あると思い込んでいる。私は生きてること自体も奇跡と書いてきた。人間の姿・物質という存在も奇跡だと考えている。現代のぶり理学では、物質と反物質という考えある、今住む宇宙は、一つの点と言うより無から始まっていると言われるビックバーンが定説になっている。無から物質が出来た、当方も無い量である。「不可説不可説伝」と成っている、人間レベルの知能では理解できない桁になる。この途方もない物質質量を持った星々が出来、その中で命が生まれ進化を続ける。星々も変化を続けている。無からの主発・・・当然、物質が出来たならその反対の反物質があるのが必然になるし、其れが同程度のバランスであれば、プラス・マイナスの相互作用で無に返ることになるが、今の宇宙は、人で観察できない広さと質量を持っている。この状態も軍前だし、奇跡的な事と思っ ている。普通でない現象この現象のお陰で、今の私が地球という星の日本という国に生を受けた。この奇跡が大きく重なった命、どう使うかは当然、決ってくる。全てが命を育む方向に向っていると私は考えている、当然、中々難しいことになるが、この最終地点を求めて宇宙の心が向っていると思う。それ以外、考えられない、反物質が少ないのか???答えが無い・・・一神教の世界でも傲慢で己の思い通りにすることが全てとなったら神はその人々を滅ぼしている。戒めである。しかし、この一神教を信奉している国々が何故か、この様なリーダーが増え続けている気がする。神の戒め・罰があるならどの様なことになるのか????日本国も良く考えた方がよい、以前より書き続けている、この指掴めが世界の流れで、大きく二極化されていた。第三極・第四極・・等々が必要だと思う。その手を日本国が上げる事が出来るのか、当然、大きな仕打ち・試煉があると思うが、寄生虫から脱し出来ると思う。












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