退院後、家族で感染症の病に成っていた三男の家族に会いたくて、彼の家に向った。新築した当初うがっただけなので家が分らず三〇分程、ウロウロ、三男からの電話で、入り口の角を教えてもらい、無事に着くことが出来た。出迎えに三男と三人の子供達を従え、抱きかかえて待っている、普通の光景のようだが、彼には脚の障害が有り、体重も保険に医加入できない位に軽い、彼の姿を見ると、勇気を頂ける、私よりほそい脚で子供を抱きかかえている。彼の第一子が小学校に入学するが、お祝いも渡せないでいた。件も兼ねての訪問・・・しかし、玄関の上がり口で上がれない、彼と嫁二人の手を借りて上がり框も越える事が出来、感謝しているし、己の不甲斐なさ、能力の低さを改めて知った。帰りは降りる方になるが、この方が二倍以上きつく感じる。三男が確り私を抱きかかえてくれた妊娠中毒症で母胎が危ないと言われ、母親を為にオペを行うと電話・・・子供は諦めてくれと言う事に成る。電話口で私の口から出たのは、両方助けて下さい、同意書は里の親と舅親が彼女の側に居るので、私の代りにして貰い、一刻も早く、処置して下さいと祈るようにお願いした。手術室に向う彼女に、二人の息子達が頑張ってと言っていたと後で聞いた。その当時、私は生きるために鬼の様に働いていた。病院に行く時間があるなら営業で物を売り多くのお金を持ち帰る、入院にもお金が要るし大事部分と思っていた。無事に二人共生還でtきた。これから三ヶ月間、出産予定日までの三ヶ月間、未熟児のため保育器での入院生活になる。初めての面会、沢山の赤ちゃんが居る。障害・問題のある赤ちゃんを多く看ている場所、管等で命を維持している子が殆ど、看たくない・怖いという思いが強く成ったときに、看護師さんから貴方のお子さんですと言われ、保育器を覗くと、自律呼吸を行っている、己で生きようと頑張っている、小さな姿に驚いた。手の平に乗せれる程度の大きさ、成長できるのか???毎日、母乳を届ける。両祖父母もこの子が一人前になる事を心配、願ってあったが、三人の子持ちで、家も建てた・・・・祖父母は安心していると思う。私は、多くのハラハラ・ドキドキを経験してきている。しかし、全てが私に勉強させるために起きているように思える。何事も先ずは挑戦、これが普通になれば、挑戦だから、苦労・苦痛・等々が有るが当然に成るし、感謝出来る捉え方の価値観を学んだ方が、生きる醍醐味を感じれると思う。
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