昨日のディケアサービス、三回目なので馴れてきた。殆どの人が私より年上の先輩達・・・私の親の年代に成る。私も終活の時期が来るのでソロソロ考えないとと思っていたが。病の冒され爆弾が何時爆発するか解らない状態に成り、人は簡単に死ぬ人も居るし、簡単に死なない人も居る・・・「ピンピンコロリ」なら終活で前準備も出来るが・・・色んな病が有る。全てに対応できる、終活が有るのか???此を考えている。どの様な死に方をするのか???個々で解り理解しているのか、誰しも死が訪れることは解るが、死に向かうプレセスは多々有るので殆どの人は解って居ないと思う。その証拠が、少子化・・・人との関わりを深くしない生き方・・・他人を背負わない生き方・・・誰も後継者を創ろうとしていない・・・己が想定する終活で死ねるのか???殆どの人が出来ないと思う。理由は想定を広げる為の経験値が無い人も増えている。又、私は60代のこの状態、年齢に関係無く、病は襲ってくるので、本来なら子供の頃から終活の為の経験を多々付けさせる事だと私は考えています。良く考えて欲しい、子供が終活、保護者の親が必死に看病し見守る。成人すれば、現代は晩婚化で、子を儲ける年齢が高い・30歳の子で、その子が30歳で子を持つと言う流れに仮定して親の介護が私と同じ65歳で介護が必要人成った。息子の子・孫は五歳になる。子と親の面倒、看れるわけが無いと思うし、その上の祖父母が居れば90代に成るし、現代ないけて終われる可能性も高い、この様になると、祖父母・父母・実子の面倒を看ていくことに成る。私は後継者を多く育てろと言うのは、嫁里も両親が居るし、祖父母が居る可能性性が有る、現代は少子化の、この様に、二世帯の親を看る方向に成る可能性も高まっている。
人は、年を重ねると、見えてくることが有る。若いときには全く意識もしないでいた事、己の死・・・先祖の位牌・墓・・・己は何処に収まり向うのか???私が知る限り全盛期を終え終焉に向っている時に、思われる人が多い様だ、私は若くしてその様な場に母から行かされた、結果、後継者が居ない大変さを20代のことに身で知る事が出来た。地域事も、一件で一人の参加が基本、殆どが高齢者の人が参加される、子供を儲けられていないのか???確りと儲けられ、優秀に育てられているが、地元に居ない。勿論、子沢山という家も少なく、二人・三人の子を儲けられても側に居ない。又少子化の問題が、嫁里の墓守の責務も出てくる。当然、嫁里の両輪の介護もこの様に考えれば、少なくとも三人以上の子を儲けて、育て方は、柄が有るが、優しくてお節介、要はバカと言われる子として育てる、結果、地元に残るし、神輿の上に乗る事も社会教育等で受けうるので、経験させ何が大事なのか???己で学ばせる!!若いときは頂点を目指す良いことだと思うが、その頂点に何の意味が有るのか。もし、其の頂点が有る為に下々が不幸になるなら、意味が無い・・・頂点に居る時にどう対処するか、誰しも考えるが、勇気が無く、先送り・・・・
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