俺だけ裕福でエリート・人様と共に生きる事が幸せ
今日は少し、仏教的な価値観でブログを書きたい。仏教も他の宗教と同じと捉えられているが・・・大きく違う、仏は人の命に内在しいる。色んな階層に人は居るので、当然、色んな階層にも仏が居ると言う事、人は六道輪廻と言われ。地獄から天界まで些細な事で階層を動き続けるので輪廻と言われている。神は神の住む世界に居る、歩除けも同じように捉えて、天国のような環境に仏も神も居ると言う捉え方をする人も多い。仏は、地獄の場所・言動もその場に似合う人でも、命に仏が内在しているので、それを湧現できることが地獄で仏と言う諺に成る。しかし、問題が六道輪廻の人間が、人の足を引っ張り合う、俺さえ良ければと言う、三悪道が基本に成ってしまったら。民意バラバラ争いが絶えない、確りしたモラル・ルールをどう行わせるか???人の力で歯向かう事の出来ない大きな力、これが一神教に成る。宗教が民度を上げるともなっている。日本国は、無宗教と言う人が多いが、民度がなぜか高い???要は、人より神は上とした価値観も無くても敬意を示す、謙虚さが日本人と成る。命が一ん番大事と言う事、曽於人お素描が地獄でも命に仏が内在しているなら、守り抜くと言う価値観が仏教と言う事に成る。私は階層は違うtが仏は平等に命の数あると言う事、それに気付き湧現しようとするのか???その為には声聞・縁覚・菩薩の境涯に己を上げるしか無し。仏教は己の身を持っての実践に成る。しかし、何度か書いているが三悪道の人々で形成された集団は、人知が及ばない、絶大な力を持つものが必要になる。しかし、興味を持ってもらうための甘い飴も要る。この様な世界・道を外道と言う・・・暴力団が使いそうな言葉だが仏法用語である。仏教は内道と言う。私の独断の見解だと外は唯物的な処にしか価値観を見出させない可哀そうんな人々に見える。強い宿主を望み、当然 甘い蜜を与え続ける。寄生虫なら望むし、宿主が巨大化する事を望む。私は、唯心的な」安穏を人々は求めていると思う。形ではない・・・しかし、これを解る心さえなくなってきている。唯物論に強く支配される。強者には都合がよく成るし、知識人と言えでも否定し難くなる!!!
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