今日も6時から自主練・・・・何時もの様に一人で行っていた。今朝は看護師さんが、私の部屋の横に入所されて居る、老婆を連れてこられた、直ぐに解る、何時も騒いで居られる痴呆症の患者さん、年齢は104歳と看護師さんから聞いた。しかし、遠くで聴くのと、近くで聞くのとでは全然感じ方が違う、壊れている思考・同じ事も意味が解らない単語を繰り返される、可哀想で、聴くに堪えなくなる。家族なら尚更堪えがたい・・・結果、入院と思う。一時間ほど、同じ部屋に居て、自主練を続けながら発してある。言葉の意味・本質を私なりに考えていた、人に囲まれた人生・其れが普通で・幸せと思って居られるように感じる。今は一人・孤独・その為に看護婦さんと連続して発せられる、この方も構って欲しいという思いが強いようだ、今まで人に好かれたいという生き方続け、当然、近付く人々も多かったと思う。しかし、其れが今では重荷になっている。私は嫌われ者、人様から居ない方がよい、死んだ方が世のためと思われる人間、この様な考えに何故成ったのか???よくよく考えると、若いときに多くの諸先輩・高齢者等の話、体験を聴いて、この様な考えに生ったようだ、何度か書いているが、全盛期の頃はいい人を演じ・周りから好かれているというのが自慢の人が私の周りには多かった。10年後以上経つと、人が近付いてこない、己も落魄れて人の優しさに飢えているし、過去に恩も多くの人に与えたという思いが、悔やみ・恨みに向う人達を多く見てきた。
日本国も先進国、この宿命は、少子化に高齢化・・・それに医療が充実しているので、長寿と言うのも、健康なら良いが、不健康なら問題に成るが、先進国の場合この状態でも生き続ける。特に先進国の方向性で、色んな立場も誰が決めたか解らない演義を、演じる事が幸せと思っている。皆が演じていることになる。当然、そのスタイルを決めた人のためという事に成る。この一部の人の為に費やした人生、その間は幸せと思うようにしていた。優良な消費者として人より少しは贅沢できた。しかし、五体不満足になったら。当然利用価値がない立場、誰も近付かない・・・・私は、生きるという事は、死に様だと考えている。絶好調・全盛期の時は続かない、何も無くなってからが、その人の生きた経験で何を学び、智慧にしたかに成る。この智慧を得られなければ、「生老病死」は本当に怖いし、考えたくも無いと言う状態に成っている。これを「四苦」とも言われるが私は四つの当選の事と捉死えている。この様な考え方で、人を見ていると色々見える、今、権威を持ち威張り天下を取ったと思っている人の終焉、地獄だと思う、この事は本人も高齢に向かえば気付く、しかし 、認めたくないと暴走し出す、成功者に多い特性・・・その暴走列車に乗っている人々・其れを見ている人々、どう思われるのか???乗客は向っていると思う方向が正しいと思い込んでいるから、問題・脱線したら・・・己が好みで乗車したのに責任転換!!!人も枯れだし、最後は折れて死ぬ・・・・この変貌を確り見とくことになる。
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