公休日の嫁が・・・出かけた・・・彼女らしい・・・優しさだが・・大変と思う。
季節変わり、この時期、精神に疾患が有る人は、不安定な時期になる。不安が膨らむ傾向が有るから、それを、解消しようとする行為が、現代では事件等に発展している。
要は、受け入れて聴く耳を持つ事が大事だと私は思うし・・・人として一番大事で基本的部分だと思っている。
しかし、この方向性が良い・偉い・等々の、評価になれば、己の為だけの人が、その逆になる・・・結果、この様な部分を見えなくする方向になっている。
嫁は、施設が運営している、障害者の作業所が市内にある。その作業員の精神疾患の数人から、面会に来てとの要請で・・向かっている。
他にも、クッキーを作って販売している。パンを作って販売している。当然、社会との関わりを重視して行われている、団体が市内にも多々有る。
訪問販売等々をされている団体もあるが、我家に来られる、精神疾患の販売員・・私の嫁の名前を呼んで、〇〇チャーン来たと言ってくるのが通例になっている。
同じ要に、授業参観等々、嫁が、学校の校庭に入ると、生徒達が窓から〇〇チャーン~~~~と叫ぶ・・・人気者だと何時も思うっていたし、
彼女も、我子と同じという感じで、子供達の同じ目線で扱っていた。
現代、この様なタイプは少ない・・・俺は偉いと、言うスタイルで、上から目線で人と接する人が多いし・・・・教えるという事を、この上からと言う捉え方の人が多い感じがする
共に学ぶ、私が詳しい部分は私が、しかし、貴方が詳しい部分は貴方が・・・此が本来の学びだと私は考えている。
私は、差別主義者の為に、優先順位は有る。しかし、同じ土俵に居るなら、友となるし、共にどうなるか???・・・此が大事だと私は思う。
この考えが無ければ、同じ土俵には、己の好みの人で構成される、当然、好みで無ければ、この場に居ては困る。・・・この様な考えになる。敵味方論になる。
優先順位は私の場合有るが、共にが基本に有る。共に出来れば良い方向と思っている。しかし、己に力が無いために、全てに手が差し伸べることが出来ない・・・結果、優先順位が出てくる。その為に、申し訳なさが有るし、此が現実だから、力を付けなければと今まで来たが・・・色んな、足枷が発生して、私の歩みを遅らせている。
ゴールが近づいていることも、確り感じている。その間、何が出来るか???・・・昔は、毎日が焦りが有ったが・・・今は、分相応と言う思いが強くなっている。
出来ない事は出来ない、劣っている部分も残っている。失敗・間違いを起こす生物・・・人間として生き続けた、結果、何を遺すかに、此が迫っている。
祖父が言っていたが、物は持つな、最終的に足手まといになる・・・・此を父母の死後の処理で、感じた。
未だに、多くの父母の物が有る・・・その為の場所を考えると、凄い無駄になる。倉庫・物置、屋根裏・・等々の、広い場所以外にも、押し入れ、クローゼット等々に、多くの物が残っている。遺品として大事にしたいと残しているが、意味が有るのか????・・・
処分するにも、大金が必要に成る。
母屋の、六畳二間も物置で使っている。
今は、事務所に二階の役10畳二間も物置・・・・・勿体ない・・・
嫁は、遺品、思い出と大事にしたいと言っている。又、部屋も使えない方が、今の時代、電気代等々が高騰しているので、纏まって一つの部屋と言う方向が、コスト的に楽だと言っている。
何が良いかも、各自で違う・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿