私は、全てバランスだと考えている・・・しかし、私は鬼畜の命が強く、差別主義者だと自称している。
私の本性の鬼畜の命だと、権利と義務の捉え方が、バランスが悪い・・・
本来は、確りバランスしていなければ、矛盾が出てくるし、他に負担を与える事に成る。その為に、鬼畜の命を押さえたいと何時も、考える事に成る仮に、権利も、義務も同じレベルで求めているなら、バランスが保たれているし自業自得と言う事にも成る。
しかし、私の場合、鬼畜の命が、権利は、強く求める方向性が有る。何が何でも欲しいと思う方向になる。
しかし、義務は逃げたいし、考えたくも無い、忘れたいと思っている場合が多い、それを忘れている時が楽だし、結果、幸せと捉えてしまう。地獄の鬼の価値観に成る。
人としては劣っている私、しかし、人とは????と何時も考えている。出来るだけ、近づきたいと願っている。
ブログ掲載初期に「早く人間に成りたい」と書いていた時が有る。理由は、未だに己は人間に達していないと自覚が有ったからに成る。
この意識が有るから、人間とは????と探し続けることになる。
間違っても今の私を人間と見られると困るし、嘘になるので、人間以下の鬼畜だと己を自称している。
確り、バランスが保たれている、それも自分自身の自業自得の中で・・・このレベルに成りたいと思っている。
要は、出来る事は考えないでも出来ている。二足歩行が出来る、当然、意識して歩いていない・・・出来るからになる。
私の場合、出来ないから、出来るように考える事に成る。
各々、レベルが違う、その為に、挑戦する方向性・部分も違ってくると思う。
出来る事には挑戦とは言わない・・・出来無し、出来ない可能性が高いから挑戦となる。
今は、確りと二足歩行も私は出来ない、当然、走る等、不可能になる。このレベルから見れば、確りと歩いている、走っているだけでも、凄いし、幸せのことだと見える。
この様な些細な事で、幸せと感じなかった、私の捉え方が、傲慢だったと言う事にも成る。
全てが感謝に本当は成らなければ、人とは成れないと私は考えている。苦痛も感謝に成るまで、成長したい・・・
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