田舎に住む私は・・・・時々、都会・・たまに東京にも行く事が有ったが・・・
長い田舎生活で・・身に付いた人との距離感が・・・都会に成るに従い、狭くなる事が、生理的に無理で・・・・結果、一日でも早く、地元の田舎に戻りたいと思う人間である。
勿論、田舎でも通勤等の電車の混雑が有るが・・私は、隣に人が座る事さえ、生理的に無理の為に、電車での通勤等々、あり得ないと言うタイプにもなる。
この部分は、昔のブログにも書いていたが・・・夫婦である嫁との、距離感・・・私の影より間を空ける・・・最低でも2m強は、無意識に開けている。
我が地域は、今の感染症の問題が有っていても・・・人々の営みは、同じだし・・畑仕事等々も行われているし、人々の距離感も変化がない・・・ただ、問題なのは、会合等が開けないと言う事・・・人を集める行事が出来ないと言う事に成っている。
昨日も、校区の安全推進員の委員長が来られ、初顔合わせの会合の案内を作っていたが・・・この様な集まりも、本来、先月中に終わっている筈なのに・・・・緊急事態が我が県に出た結果・・伸びて今月末と言う事に成っている。
時は、春の交通安全週間に成っていて、校区内の担当者の顔合わせも行われていないと言う現実に成っている。
私は古い人間だと己を思っている。家族であっても、ある程度の距離感が必要だと無意識に思うタイプに成る。
人との距離を保ち・・・大きな声で意思疎通・・・この方が正々堂々だと私は勝手に思っている。人様に聞かれて不都合な事は、言えない・・・・自信が有る事以外を言う事が出来ない距離感と言う事が有る。
逆に、内緒話、人に聞かれたくない、話の場合の距離感も有る。陰口もその一つに成る。
何故、都会が私の肌に合わないのか・・・内緒話、陰口を、周り全体がしている様に感じるからに成る。
要は、その環境自体が、苛めと捉える人間と言う事にもなる。
しかし、この様な振る舞いを、現代は、人様に迷惑に成らない様に、お互いが聞こえる最小限の音量で話すと言われるが・・・私の感覚だと、跡形付けた言い訳の様に聞こえる。
正々堂々を、有りの儘を見せる・・・之で否定されても、仕方がないと思う。色んな捉え方が有る。
逆に、否定を受けない為に、見せない・隠す・・・この方向が私は好きでない。
歴史的に、感染症等の病に対しての防疫の知恵が、蓄積され、文化と言う形にもなっている。それを因習と言って、悪いイメージで、撤廃してきた。
結果、脆弱な部分が、露出している。
少子化もその一つの問題に成る。
要は、損得勘定も寄生虫的、価値観から発する、損得に成る。
親と言う存在は、宿主に成る・・当然、宿主としての損得勘定が出て来る。
立場が180度違えば、損得も180度違う場合も出て来る。
現代を地獄の様相と私が書くのは・・恩が有ると思う宿主に対して、その本体を最後まで、貪り食うと言う、寄生虫が増えている事・・・之が常態化すれば、誰も宿主に成りたいとは思わない方向に成る。
要は、宿主は骨の髄まで吸い取られると言う事に成るし・・・それでも足らないと貪り続ける寄生虫が多くいると言う事に成る。
要は、無間地獄が続くと言う事、喉の渇きが永遠に続く、生き方と言う事に成る。
若し、寄生虫同士の仲間内の話なら、当然、楽して甘いものが手に入る、情報を共有する話になる。勿論、周りには知られたくない・・・仲間同士の距離感が狭まる。
昔の表現なら、烏合の衆ともいう・・・要は、社会等の役に立たないと言う事・・理由は己だけと言う狭い価値観での集まりと言う事に成る。
私は、集団を好まないし、集団を作りたいとも思わない・・・理由は、烏合の衆と成る可能性が高いからに成る。
烏合の衆を、外から見て、各鵜の違いを認識できるか????・・・勿論、鵜同士なら違いは認識していると思うが・・・俺が黒い、黒いから良いと言う次元に成っていると思う。
若し、人間集団の社会を、かみと言う存在が見たら????・・・違い等、判らないと思う。考え方では虫けら程度に見えている可能性もある。
キャベツに対象発生した青虫と同じに見えている可能性もある。
私は、バランス等を大事に考える。当然、距離感も大事に成る。
要は、嫌われ者と言う、距離感が、一番、心地よいと言う事・・・・又は、安全と言う事にもなる。
よく考えてもらいたい・・・私は、人を信頼したいと思っているが・・・その人が刃物を隠し持っている可能性も排除できない・・・距離感が狭くなると言う事は、危機意識が無いと言う事に成る。
車で、一般公道を走っていて、若し前を走る、人を本当に信用出来ているなら、車間距離等、取る必要性がない。しかし、相手も人間と言う部分が有るので・・車間距離を保つ、その距離感も人で色々と成る。
車を操作する人間とは、車間距離を取るが・・・現実の人間とは???
私は、異端児・嫌われ者・・この意識が己に有るので、当然、人様との距離が必要に成るし、それが己を守る事にも繋がる。
要は、相手を食べる為に、距離を詰めるのか????・・・・相手から食べられる為に距離を詰めるのか???・・・この二つに成る。
当然、寄生虫と・宿主とでは違うと言う事に成る。
人間も生物である。食うか食われるかの本能が有る。
しかし、虫でも親は己を餌として子に与える・・・・宿主として凄い覚悟である。
人間なら????・・・と考えると難しくなるので・・・同じ、生命ならと私は考えている。
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