幸せの捉え方も各自で違うし、教育・価値観でも変る部分居成る。私は、幸(さち)と読んで意味を確認している。己に良いことが起きる事に成るが、どの程度が良いかも各自で違うし、最初にその目標に向っての言動・努力が有るから幸運にも幸(さち)が訪れると私は思って居る。要は己の分以上の施しを受けたときに感じる、心のうごきだと思う。何度か書いているが、私は幼い頃の貧しい飼ったときの方が、幸せを多く感じていた。子供ながら責務を感じ、其れを果そうと頑張っていた。現代なら、虐待と捉えられる行為だが・・幼くして、家の糧として稼ぐ、これを見に感じていたし、稼いだ結果、幸(さち)を感じていた。両親・家が喜ぶ行為・・・補前だと思うし、幸(さち)だと思う。現代は、己だけの幸を求めすぎている、獲るわけが無いと思うし、もし獲ても一瞬の空しさに成る・・・・・・誰も喜ばないので、見せびらかそうとして、人の評価を求める。哀れだと思う。
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