物事の順序を個人主義の己からはする価値観・・・狩猟民族に多い価値観に成るし、DNAに刻まれていると思う。環境が厳しく家族を守るのも必至と言う地域にもなる。逆に生活・飯を食べる事に余り苦労が無い、子供でも手に入れる事が出来る様な環境も有った。私の勝手な見解に成るが、この基本の環境が、宗教の基盤に成っていると思う。私は、よく一神教・多神教と大きく、宗教を分けて考えている。解る通り、己さえ、広げても家族だけと言う狭い根性に合うのは一神教である。しかし、一神教の神は、全て人である。しかし、その中でこの神だけが神と言う、原理主義に進むのが、集団・団体に成るおt起きる、救世主が神・・・命を捨てて民・庶民の為に尽くす人・・・これが定義なら、若くして特別特攻隊で命を散った若人も救世主だし、神に成る。日本国では、神として靖国神社に慰霊され続けている。この様な行動が、一神教世界の人から見れば、有りえない、考えられない、凄い、締め付け・薬等の投与で意識を混濁させて行っていたと解釈しないと、普通の若人が神と同じ振る舞いをすると言う事は、一神教の為に信じきれないと言う事に成る。今、インドもパキスタンと揉めだした。インドのヒンズー教とパキスタンのイスラム教の宗教戦争に成る。ヒンズー教はバラモン教からの発展形・・・多神教に成る。イスラムはユダヤと経由してきた新興宗教に成る当然、一神教だし、要は兄弟の宗教同士でも殺し合いを行う価値観、特に、己の信じる神が全てだと思い込み、原理主義に走れば、他の神は、邪教に見える。それを成敗する事が正義だと思い込むし、当然の振舞と成る。その為に、国としてのガバナンスも大変委に成し統治するために支配を強める事に成るし、それを求める民も増えだしていく悪巡回である。原理主義、これが正しいと決めつける方法を取る、共産主義も同じ、社会主義も同じ、民主主義も同じ、民度がそれを求めている・・・何が正しいは解らない、己の欲は直ぐに解るし、それを可能に出来るのが、力だと思い込むのも人間の畜生道として有る部分・・・・民が神と言う、捉え方も有る。仏教は、バラモン等の修行を続けた釈尊が、己が求めている世界でない、釈尊が求めた世界は、苦悩している人に寄り添い、気を楽に希望を持たせる事、悲惨と言う感情を感じ成せない為、己が如何なるか等、考えても居なかった。その釈迦が考えた、神と言われる言動を行なえば、人も神になれる。これが、希望に繋がる、理由は、この価値観が、確固たる自立につながる。どうしても寄生虫的な価値観で生きている人が多い、要は宿主に不満を持ち続けている。この宿主も当然誰かの寄生虫に成っているのが、世界の常識・その為に、国のトップに成ると己は神と思い込む人が出ても不思議で無いし、その様な人の支援者なので、彼らの耳障りが良い事も当然、価値観が近いので簡単にできる事に成る。私は力が付けば付mらだと思う。プロテスタントは個人の自由度が有る。要は民度次第と言う事、民度が低ければ、餌を見せて、改宗もしやすい、餌の質程度で良いし、その時点では解らないので、どんなことも言える。このガバナンスの支配・ルール等が厳しいと言う事は、それだけの民度と言う事に成るし。この厳しさが有るので社会が円滑に動いていると思っている。民度が宗教心まで返ると言う事に成る。よくイスラム原理主義と言われるが、イスラム程、一つの神以外認めないと言う部分は無いのに、其れの原理主義、他の神は倒せと言う事にも成る。多くの神を祭っている日本・何故かテロ攻撃が無い・・・理由は、これが正しいと言うスタンスでないし、正義とも思って居ない、この様な神が居たと居たと言う程度・・・一つの神を破壊しても、他に無限に近い神が居るのが日本・・・この精神性に憧れた、来訪される外国の人々が増え続けている。「おもてなし」肩から力が抜ける日本国・・・VSでなくANDの関係性を持とうとする人も日本国には残っている。
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