日曜日に父の一周忌・・料理等の手配は済んでいるが・・・法事お返しの物、我家はお茶を渡している。
ここ二日間の間に、私のお客さんのお茶屋さんから、購入を考えているが、数か数なので、金欠の私は、不安が有ったが・・・
今朝、他のお客さんから、消耗品の納品以来・・・急に予定しいないお金が入る・・・このお金で、お茶を購入して帰ることになった。
私は、何時も不思議に思うのが、危機一髪の様な緊急時を回避できる・・・当然、己の力で無く、生かされている、生きこのされたと思う事が多々有る。前回の、ダンプとの事故、ダンプの下から出てきた私、本来ならタイヤで踏み潰されていても不思議で無いが・・・何故か、生きていたし、元気だったので、簡単な事故処理で終わり、相手のダンプの特定が警察では出来ないとなり・・・怪我損になるが、生きていただけでも、徳だと思っている。
この様な事が私は、多々有る・・・その都度に、想像し、色んな人達に感謝となる。前回は、先に逝った、学友達が頭を過った。彼達が来るな・・と成ったので、生き残れたと私は思っている。
今回の大病も、本来なら、死んでいても不思議で無いと医師から言われた。しかし、生きている。
五体不満足に成ったが、こうしてブログのUPは出来ている。感謝に成る。
何故か、守られる、救われていると、私は感じているから、恩を返したいとなる。
以前、入院中に、私は己の住む世界で生きる立場・・その為に、病院は、天国の様な環境だが、私の場合、悪・地獄となる。理由は、天国の場所に留まることが出来ない、私の住む世界、入院中の環境と、大きく違う私の現実の環境が、私の住む世界、この世界を私は与えられ、その世界をどうするか???この使命が有る。
その違いが大きいから、天国の環境感も知れないが、別次元・別環境に住む私は、地獄と捉えることしか、己の住む世界に、戻りたいとは成らない・・・
各々、住む世界が違う・・己が住む世界を如何するか??此が問われている。
仮に夢見たいな天国の様な世界を経験しても、それは一瞬、己が留まる場所が有る。その場所が己に与えられた場所だし、そこでの課題が、使命となる。
要は、天国と思える環境は、改善の必要性が無い、と、言う事は己の存在意義が無いと言う事・・・改善の余地が有るから、その場に居るし、使命が有ると言う事になる。その改善ポイントを知るためにも天国と言う環境も学ぶ必要な有る、しかし、その世界に近づく努力はしても、成ってしまえば、生きる意味が無くなる。
仏法の同じ、蓮仏法と言われる・・・蓮は、ドブ・・ドロが無ければ、成長できない、汚れた物を栄養にして、根を育て、その力で茎を伸ばす、当然、済んだ上水を越え、空を目指して、花を咲かせる。
しかし、その原動力は、根のドブを栄養に変え、水を浄化するこの作業を、続けている。問題は、綺麗な水・砂の中では蓮は育たないという事・・・しかし、蓮は、綺麗な水・ドブを砂に変えている。
世は、善が有ると言う事は、悪も有ると言う事・・このバランスが保たれて居る時が、良いときに成る。間違っても悪は無くなり、善だけの世、この様な世界は無い・・・これこそ、差別で有る。何が善か悪かは立場で変わったりする。この環境や立場、時で変わる部分を、固定化してしまうこと自体が、差別で有る。
殺生が駄目なら、獅子は悪で有る。生きる物の命を頂く、植物も同じで有る。
しかし、全てが自由で勝手となれば、トラブルが増えるので、ルールが存在するし、郷には入れば郷に従うと言う、状態も大事になる。勿論、全て従う訳で無く、問題点・改善点が有れば、返る努力は必要に成る。
要は、敵として外から変える方法も有るが、内から変える為には一端その集団に属しなければ成らない。
要は、この部分もバランスが、己の思い、理想を常時、思い続けることが出来るか???当然、己の求めるものと違う、違うから、努力することになる。
この振舞が無ければ、発展・改革は無いし、閉塞感が強く成るだけで、環境を恨み、感謝等の思いが出ない、此が不幸で有る。
今の幸福感は、人との対比でも優越感に成るし、この優れたと言う価値観が、一極化しているので、争いが増え出すことに成る。
要は、誰しもが、一つの物を奪おうと争っている状態・・・ものを得る事、人より良い物を得る事が、幸せ????・・私は違うと思うし、逆に不幸の中の不幸だと思うし、この連鎖の永遠性が続けば、無間地獄だし、悲惨という環境を己自身が求めているという事に成る。
今回の法事、父の思いも有る。兄妹達に対してのお礼の場と成る。
当然、父は居ないので、名代で有る、私が執り行うことに成る。
又、私の嫁の親・兄妹に対してのお礼も含める事に成るし、私の子供達・若嫁達・孫達が、そろって、姿を見せる、父と共に生きた人々に対しての姿としてのお礼を見せるという事に成る。
全て感謝が有り、その恩に答える、報恩に成る。
確り、先人の思いを伝える、形にしてみせる、此が無ければ、何の為に生きたかが解り難くなる。
この様な事が出来るのも、確り、後継者を育てた、親たちのお陰だと成る。自業自得と言うことに成る。
この部分が無ければ、人は生きる、生きていく意味を無くす、無くせば物質的に得した損しただけの、生き方に成る。この価値観で、損すると思える、人を育てる、人に奉仕する、誰も行わないと成る。
この姿が人間と成れば、誰も人間を創りたいとは思わない・・・面倒だし、多くの負を背負う事に成ると思っている。
要は、人間の破滅への始まりに成る。
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