冷静な判断等々・・・冷静という単語は、良い感じで使われる。
本当に冷静に判断できるのか????逝った義理の弟は判事だった。しかし、知り合い・親戚等々の場合、報告してその裁判等にはタッチできないと言っていた。優秀で一流だと思える、判事であっても、縁が深くなれば、無意識で忖度等してしまうと言うことにも成る。冷静は判決が出来ない・・・・平等で無いという事・・・
私は、人間は失敗も間違いも起こす生き物だと思っている。又、プラスして感情の動物が人間だとも思っている。
冷静という事は、感情も常時、平常であるという事・・・私は無理、理由は、自己中だし差別主義者・・・当然、己が思っている優先順位が有るし、縁が深ければそれだけ、冷静な対応が出来ないとなる。
冷静の対義語を検索すると、激昂や熱烈・興奮等が有る。
私の場合、全く知らない赤の他人には冷静な対応が出来る。
己と関係性が強くなるに従い・・・興奮・熱烈・激昂な対応になる。
三流で、劣っているから、一般的に言われる、冷静な判断・対応等出来ないし、人で変わるという、差別主義者の典型だとも言える。
仮に、子供も我が子が一番大事・・・他人の知らない子なら、どうなろうと関係ないという思いも有る・・・勿論、不幸なことが有れば、可哀想にとは思うが、思うだけで何が己に出来るか・・・当然、子供に世間の怖さを教える事に成る。
次男が、子供は色んな所に連れて行き、色々学ばせたいと言う思いは有るようだが・・・・失敗・怪我・痛みを伴う、経験も大事だと次男は悪ガキだったから必要と考えているが・・・現実に、デパートのオモチャ売り場等に行くと、子供は、駄々を捏ね出す・・昔なら放置したり、打ったりして、我侭を言えば、痛い目に有るという経験をさせていた。
しかし、これが現代では出来ないとのこと・・子供が少しでも泣き声等を出すと、周りの目が・・・と言う感じで注がれるとのこと・・・
子供からギャと言う、言葉を発せされる事が出来ない、結果、我侭を聞き入れるか・・・その様な環境に連れて行かない方向になる。
要は、悪い痛い経験も必要と思っている次男だが、それが出来ない環境とのこと、悪ガキだったが、今は世間様の目が気になるようだ・・・此も笑いになるし、不思議と思う。
どん底の貧乏生活の時に、育った子になる。何をして上げる事が出来なかったし、私は直ぐに、放置して置き去りな振舞をしていた。泣き喚こうが・・・車を走らせ、放置して行った。
その後は世間様から、色んな仕打ちを受けた、当然、己の所業が悪いからに成る。これが上二人の息子には、良い方向になっている。
しかし、この様な経験が無い、五男は、世間を簡単に考えているし、人に優しい・甘い環境と思っている。その為に、正直に言った為に、免許停止・・・要は、一言、それも己が起こした事件でも無い、ただ、バイクを貸しただけと言う認識・・・上の兄妹は、罪の重さを知っているから、嘘でも、知らなかったと言い通すと行っていたが・・・差別主義者の自己中心主義の私の子・・・不思議は無いし、当たり前と私は、思うし、五男は無知な上に人がよすぎると思っている。
私は、感情の動物・・結果、関係性が深いと、激昂したり、興奮したりするし、当然、言動もこの方向になる。
しかし、この行為は、優秀で一流の人はしないとなれば・・・私の場合、私以外は、赤の他人の関係性の思い、縁の深さも、薄くて浅い状態を保たないと、冷静は判断が出来ないタイプになる。
心が通い・暖かい・真剣に背一杯頑張るという人は一流や優秀な人には居ないと言うことにも成る。
私と他人、この二極の関係性・・・此なら、他人様の扱いも平等に出来る。
私は、他人様も、縁の深さ等々で優先順位が有る。冷静な判断が出来る他人は、縁が全くないと思える人に成る。
要は、冷たい人間性になる。
この冷たく・クールな人が、求められている。しかし、他人には何もしないという事・・影響も与えないと言うことだが、何故か、綺麗に聞こえるので影響力が大きい。
家族から、暑すぎると言われる私・・・
私は人間だから、此でよいと思っている。勿論、現代社会では異端児・変わり者になると思うが、
逝った義理の弟も、正義感が強く、暑すぎる人だった、判事として己を殺し、冷静さを維持していたとは思うが、大変だったな~~~と思う。
要は、ルールが有れば、ルールギリギリの事は良しになるし、罪もルールを知っているだけで、窃盗と強盗では全く意味が変わる。窃盗に入り、人が居る、当然、黙れ殺すぞ~~等々言えば、殺人方向にも罪が追加される。当然、強盗になる。
職務質問、当然、警察から・・・薬物等を持っていたら・・・正直に落とし物として、届け入れをしようと考えて、交番に向かっていた等々言って、物を見せれば、薬物検査で反応が身体から出なければ、誰の物か???証明が出来なくなる。
何時も書くように、押されたら、引く・・・押し返そうと思うから相手のペースになる。上手で攻められたら、下手で交わす。
要は、堂々としていればと思える・・・次男も子供の仕付けと堂々としていれば良いが、彼も一般人に近づいたのか、人目が気になるらしい・・・
今後は、縁が深くなる程・・・冷静さが求められる・・・これが出来なければ、人との縁は薄い状態にするか・・・又は無視して、己は己の考えが有ると言う、生き方になる。
我が身内・子供さえ、他人行儀のようなあしらい方に向かう。
当然、浅い・薄い・クールな関係性・・現代の価値観なら、己が人の手が必要に成ったとき、誰が手を貸すか????当然、行政等は先ずは親族、四親等位まで、連絡を入れるが、当然、誰も知らないと成ると思う。
何度も書いているが、人の分断を行っている。弱い立場は集団を創ることで己を守ると言うことも有るが・・此を否定するような教育に成っている。
現実に、一人の法が、国等の介入がしやすいし、保護政策にも直ぐに入れる。と、言うことは、国の家畜と言うことにも成る。
仕付けが良い、家畜に民衆が向かっている。一般的は普通という単語で・・・私は人間性が無くなっていく、特に良い部分、温情という部分が・・・・
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