終わると言う感覚・・・続くと言う感覚・・・
人は物事の捉え方で、終わった・続くと二種類の感じ方をしていると見える。
昔から「悪い事は続く」と言われ・・「良い事は続かない」と」言われる。
これは現実を言われていると私は考えている。
しかし、人の思いは・・・祈る・願う・・等々に・・・悪い事は無い事、有れば終わる事を願う人が何故か多い・・・理由は、先に開いた続くからに成る。
続かなければ、祈ったり・願ったりしない・・・続く可能性が高いと感じているから、願うと言う行動に成っていると思う。
しかし、物事で悪い・嫌な事は、終わらせたいが・・進み、終わったと捉え、思い込む人も居る。私の嫁が典型で有る。
嫌な事等が有ると、色々した結果、終わった・スッキリしたと直ぐに口から吐く・・・
私は修理人を行っている。修理して終わったと言う感覚には成らない・・・当然、お客さんからは、終わったか???・・・直ったか???と問われるが・・・現状では正常に動くように成っているが、どうなるかは様子を診ないと解らないし、当然、経年変化を有るので、別の部分が悪く刈る可能性も有ると、答える。
勿論、この答えに不満を抱く人も居るが・・・現実は仕方が無いと私は考えているし、お客さんが言われる、正常と言う状態を、本当に望むなら、当然、新しい機械に新調された方が、要望に近いと私は説明する。
勿論、怒られる立場が、修理人である。感情を害されている場所に行く・・・嫌な場所と思うが、私の仕事場と思うから、伺っている。嫌な事は、したく無い・終らせたいと言う気持が、強くて、直ぐにその気持ちを口から吐けば、今は正常だと言う事で、終わった、直ったと公言すれば、その時は褒められる可能性が有る。翌日、問題が出たら、それこそ大変な事に成る。
私は、悪い事は、続く・・・永遠にと思っている。その為に、現状での最善策を続けて行く事に成る。終りが無い事にも成る。
その為に、問題が出る前に、可能性をイメージし、今後、出るであろう問題を考える事にしている。
要は、覚悟を決める為に、イメージし・・こう成るであろうと、予想し、その対策も事前に考えている。之が人間だから出来る部分だと考えている。
しかし、嫌な事や悪いことから、終わらせ、逃げる・・之を求めている人も多い・・・
結果、本来、宗教とはこの様な現実部分に対して、当然と思わせる為と思うし、その覚悟を付けさせる為に、哲学より、深いと言われていると思う。
しかし、現実の宗教に対して、人は、悪い事、嫌な事から逃げる・終らせる為のものと成っている。又、それを宣伝として使い、人を集めているのも現実である。
悪い事が続く事が当然だし、良い事など一瞬と言う事・・・
その証拠に、老いる事は、良いか???悪いか????・・・誰しもが若い方向を目指そうとしているのは、老いる事を受入れて居ないと言う事にも成る。
どの部分を、若く保とうとしているかで、人の本質・本音も見えて来る。
若い、無謀に見える勇気が有る。不可能に対して挑戦する若さ・・・精神的部分を求めているのか???・・・それとも瑞々しい姿を求めているのかで、唯物的か唯心的か、等々のバランスも見えて来る。
又、どんなに健康を意識しても、絶対に人は死ぬ・・・之が現実、これに対して、逃げる事は出来ない事も解って居る友うが、何を祈っているのか???願っているのか???・・・
要は、私は祈りの内容が、今の社会・現実に成っていると思う。利己を願っているのか???負己を祈っているか???
利他の願うと言う事は、当然、負は誰かが背負う事に成る。誰が背負うのか???当然、利他を願う人に成ると思うが、思っていないので、願いが叶わないと成る。
言葉は耳障りが良くて、奇麗・・・しかし、それを行うとすれば、誰かが背負う事に成る。
今日は、嫁が夜勤開け・・・10時に迎えに行くが・・・付く前3分の時点で電話・・・新人さんが一人に成るので心配だからと、私が1時間の残る・・・優しい嫁らしい振舞いである。しかし、前もって解っている事、何故、三分前????・・・電話をしながら、着いてしまった。
嫁は、可哀そうだから、帰って、私は電車で帰って来るとまで言うので・・・帰る事にした。
家に帰り着いたら、往復で1時間掛かる・・・当然、着いたら迎えに行く時間・・・行く事にした。駅まで距離が有る・・・嫁の歩かせる之が嫌と多い、迎えに行った。
当然、携帯に、連絡するが、ドライブモード、繋がらない・・・何度・何度も電話するが繋がらない・・・現場に着いて、待つが、出て来ない・・・・駅に向かったかも???と思い、駅と施設の間をウロウロ・・・・動いても無駄と察し、駅で待つ事にした。
15分後、嫁が駅に現れ、向える事が出来・・・ホッとした・・・
何故、携帯がドライブモード????と聞くと、解除方法が解らないと成る。それを理解しているなら、何故、履歴を見ない????・・・無言・・・
嫁は、優しい、愛情も豊かと自称している。勿論、その様な振舞いもするが、その尻拭きをする立場が存在する事を、理解していない。可哀そうと思った瞬間に、決断し、それが正しいで終わっている。
人は動き続けている。当然、色んな人が動き続けている、勿論、予定が有るし、予定を消化する為に、奔走している人も居る。
急に己の予定を変えたと言う事は、貴方の予定を、想定して、予定を組んでいる人が居る可能性が有る。何故、その部分に意識が向かわないのか????この部分が、嫁の癖・・・
人様の役に立っていると言う事で、全てが終わっている。
勿論、目の前で溺れている人が居るなら、その様な感覚でも助けたいと成る、勿論、勇気と言う事は、色んな予定等々よりも大事、又、その人達にも説明が付くと言う自信が有るから出来る事・・・・
しかし、その部分を意識していないと成ると、それが善意だが、善が悪を創っている事に成る。
本当の話かは解らないが、戦争も終盤・・・己の思いと違う命令で、若者を特攻隊員として教育していた、教官・・・・飛べる戦闘機も無くなり出し、戦局の状況も最終盤と肌で感じられ・・・教え子の元に、逝こうと・・・特攻の志願を何度もされていた。しかし、妻帯者は、成れない・・・・これを知った、妻は、幼子を連れて、入水自殺をされ・・・之で、志願が受理され、教え子の元に逝かれた人が居る。
人は、社会の中で生きる、当然、最善の方法を模索しながら・・・守る人が居るなら、尚更、糧を得る為には????・・・之が大事に成る。
勿論、社会が間違っている、正しいとは当事者は関係ない・・その中で生き抜く事しか出来ない。勿論、思いとは違っても、生きる場を帰る事は簡単に出来ない・・・・
要は、奇麗ごと、耳障りの良い・・・その為に、否定出来にくい・・・この様な方向に人は誘導・扇動しやすいと言う事・・・社会も結果的に、人々の思いが創り上げている。その思いとは、第三者に表現している部分に成る。
心と表現とは違う、これが、人間・・・その為に、話程度では本音・心は見えない。
対話が必要と言う事にも成る。
今月は、正月、初詣の時期でもある。
我福岡は、太宰府天満宮が有名である。此処で終わるなら、良いが・・・何で???と成ると、菅原道真を祭っている・・・此処でギリギリ良い・・・菅原道真は頭が良くて、人身の事を真剣に考え、心配されていた人・・・此処もギリギリ・・・
その振舞いが、時の執権の人々から、嫌われ、左遷と言う形で、太宰府の地に、来られた。
当然、地元に人々にその人柄が、愛され・・・左遷の身で、葬儀等も大々的に執権側がしなかった為に、一般の人々が、道真の亡骸を、手厚く、埋葬された・・・
之を聴いた、執権側が、道真は力が有り、頭が良い、若し、悪霊と成って、災いを起こす事が有っては困ると言う事で・・・・それを祭る、建物を作った・・・要は、道真の力の封印の場所と言う事にも成る。
封印された場に、道真の力を頼って何故、人々が集まるのか????
祭ると言う意味は色々ある。
之も人に取って、耳障りの良い、方向に向かって行く・・・・
仏教は創始者は釈迦と言われる・・釈迦は「生老病死」から現実に逃れる事は出来ないと言われたとの事・・・しかし、何を願い、祈っているのか????
又、釈迦の教えは、生きている人の為のもの・・・その為に小乗教でも・・死者に祈りを捧げない・・・死ぬ間際までは、生きている人の為の経なので、祈るが、息を引く取られると、逆を向かれ、集まっている人に対して経を捉えられる・・・経は、釈迦の教えである。
当然、生きている人の為の、教えと言う事に成る。
しかし、神かった方向に、仏教も向かったと言う事、理由は、耳障りの良い方が、人が聴くからに成る。
要は、現実をどう受け入れるか????・・・捉え方に成る。
当然、悪い事しか無いと言う事、良い事等、無いか一瞬・・・しかし、之を地獄と思うか????天国と思うかは、捉え方に成る。
先に書いた、特攻隊員、地獄だっただろうか????・・・勿論、第三者がその当時の環境を考えると、地獄に見えると思う・・・しかし、清々しい思いで、旅立たれた事だと、私は願っている。
生きる、環境は求め難い・・・今の現実の中で、如何、生き抜くか????当然、厳然と死が待っている。その間、どう生き抜くか、私は、最善策と注意で・・最後は、馬鹿と言われても勇気を出せるかと思っている。
今日は、嫁のお迎えで約3時間費やした・・・その間に、嫁が忘れていた、問題の商品が入荷したので、それを急いで、お客さんの求へ・・・・
些細な事だが・・・人が介在すると、複雑に大袈裟に成る場合が有ると言う事・・・しかし、この様な事も、面白いと思えば、面白い・・・背負っている立場だから言える事だと思う・・・・有難う・感謝と言う事に成る。
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