2020年1月17日金曜日

色んな人が居る・・・之が前提・・

私の周りを構成している、人達・・・色んな人、価値観の人が居る。
その為に、多様する価値観に対応する、考えが必要に成るが・・・・
一番簡単な、方法は、負は己と思う事だと私は考えている。

昔の日本の価値観と私は考えている。

しかし、己の周りと己を分離し・・・周り、集団から脱した・・立場を望めば、当然、己だけを考えるだけで良いので、楽だと思う人も居ると思う。

しかし、個を求めても、現実は集団の中で生きている。不可能に近い価値観と私は考えている。

又は、西欧的、一極・・・・己と同じ、価値観になれば・・物事が解りやすく成るし・・問題も減る、全て自己完結・損得もWin/Winの関係に成るし、良いと言う考えも有るが・・・現実は、必ず、競争も有るし、勝敗も有るし、損した・騙されたと成る人も出て来る。
之は、趣味等々の同じ、部分は有るが、全てが同じという事は、有りえないと言う事・・・

同じ、環境で過ごしている、家族内でも、問題・損得勘定等々、出て来るし、一極の価値観に全てを染める事は不可能だと私は考えている。

結果、色んな人が居る・・・出来る人、出来ない人・・・理解できる人・出来ない人・・・歩ける人、歩けない人・・話せる人・話せない人・等々、人との違いを上げたら切りがない・・・・

一神教的、価値観の蔓延で・・・仮に、成功者はと問うと・・略、同じ答えが人々から出るしイメージしている事に成る。
失敗者は、当然、人々で同じ、答え方向に成る。
この皆が、同じ答えだから、正しいと成っているが・・・本当に正しいかは判らない。
しかし、之が正しいと成れば、勝者・敗者も、自ずと決まる事に成る。

本来、成功者や勝者の・・・イメージも色々あっても良いし180度違う、イメージを持っていても良いと私は考えている。
現代は、料理を食べる側を多く輩出している・・・料理を作る・食材を提供する等々の、多くの人が必要な部分を、軽視するか、考えない、価値観が蔓延している。
結果、食べたいと、餓鬼の性の人は多々居ても・・・食事を提供しようとする、菩薩の性の人は減り続けている現状が有る。
要は、食べたい人と言う、同じ価値観、レベルの人だけが居る世界が、良いと言う考えに成るが現実は、少しでも他より、美味しい物を食べる、之を勝敗・レベルの差・幸せの差と、競い合っている、状況に成っていると思う。

大きい社会で考えると、解り難いが・・・小さな単位の家族で考えれば、直ぐに答えが出る。

腹減った・・・之に答える、立場が有る・・・この立場は不幸で、束縛されているのか???・・・その様に思う人なら、当然、この振舞いはしない。
又、差別と言って、家族全体が平等に分担する・・本当に平等に分担できるのか???・・・三歳の息子が、周りの腹減ったは気付いて、支度が出来るか???
私は、疑問と言うより、不可能と思っている。

仏教思想に有る・・・菩薩の振舞いをする、之を、損・不幸と最近は成っている。酷い言葉で、バカだから出来る等々も言われる。

要は、私が好きな、仕事、用務委員のオジサン・・・この立場を望まない人が増える価値観を教えている事に成る。
誰が、後片付けするか????・・・誰が尻拭きをするか????・・・この様な部分の働きを、軽蔑する価値観が蔓延している事に成る。

以前の書いているが、仏と言うと、凄い人と言う刷り込みが有る・・・何が凄いと尋ねると、答えれる人が何故か少ない。

要は、命・心の置き所、レベルだと私は考えている。

仏、勿論、人間としての形が有り、釈尊とも言われる・・・釈尊には、優秀と言われる弟子たちが、色んな地域から集まり・修行していた・・・弟子たちは、競い合い、仏の境地を得る、修行・争いを行っていた・・・要は我先に・・しかし、兄について来た、優秀とは言えない、劣った、弟、修利槃特と言う名の、文字も読めない、弟子が居た。
当然、他の弟子と比べれば、大きく違う・・・180度違うと言っても良い・・・彼は、釈尊にお願いする・・・私は他の弟子と違い、能力が無い、要はバカ・・・しかし、他の弟子たちの、お手伝いをしたい・・・弟子たちが行っていた、競争からは、脱落するが、下働き等々を、彼達の為に、させて下さい・・・・この言葉に対して、釈尊は、私の思い・境地に一番近いのは、修利槃特、ただ一人と言ったらしい・・・・

釈尊が居た時代でも、優秀な人達は、競い合っていたし・・・・・雑用・下働き等々は、下々がすると言う、認識だった様だ・・・要は、優秀でない、劣っている立場が、何故か優秀な人の、尻拭きをする。之が、当たり前と言う・・・時代が大昔から続いている事に成る。

家族で考えれば・・・解る・・・・赤子の尻拭き、当然、赤子がする不可能・・・出来る立場で、親と言う、立場が基本行う・・・・子供・青年期・・・何か問題を起こした、誰が、尻不をするか・・・当然、親と誰しも思う筈。
下働き・尻拭きを行っている、親は、劣っているからなのか????・・・レベルが低いからなのか????・・

家族と言う単位だと、解るが・・・何故、少し大きな集団、社会に成ると、この価値観が薄れ・又は忘れ去られるのか・・・・
同じ、趣味や目的・思想で、集まった、人達の集団・・・共に・・之が無く、周りは利用するだけ、食い逃げが、人の本質・・・その為に、集団に属している、としか、思えない人々が多過ぎるように感じる。

この価値観に染まった人が・・・家庭を持ち、親として、振舞えるか????・・・私は疑問が有る。
家族から、得る、得られなければ、不満を感じる・・・要は、与えると言う思い、喜びを知らない価値観なら、当然、維持を出来ない。

勿論、己の力加減でも変わる、何が変わるかは、与えられる、物の違いなる。
しかし、思いは同じという事に成る。

現代は、思いを認めず、結果しか求めていない・・・その為に、力が無ければ、思いも無いに等しいに成っている。

要は・・・何度も書いているが、利他主義、耳障りが良いので、誰も拒否感を起さない・・・しかい、同じ、意味でも少し、重くなる、負己主義と、言えば・・何故か、耳障りが悪く感じるし・・・その場を逃げたくなる。
本質は同じ、意味だが・・・言い方で変わる・・・要は、利を求めていない、負を恐れている、之が現代に成っている。




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