2017年6月25日日曜日

三男・・・結果

三男が幼い頃にお世話、並びに手術をして頂いた、病院に昨日、伺って、診察をして貰った・・・

再手術の可能性が有ったが・・・奇跡的な回復らしい・・・・彼の日頃の努力の賜物になる・・・・

障害が有る足を使う事で、この様な成ったと言われたらしい・・・・


之なら、大丈夫と、言われ・・・終了したとの事・・・

嬉しい報告に成るが・・・本人は、不満顔・・・・

その気持ちも、解るような気がする・・・・周りに居る人と比べれば、劣っているし、走る事も出来ない・・・

しかし、その医師の判断では、人の個性の範囲と言う事に成る・・・


三男は肉体労働が無理だが、其れは個性と、言う事に成る・・・・

国の保護政策には、医師の診断書が必要に成る・・・医師の主観が大きく関係する・・・
三男は、この保護を受けたいと強く考えていたようだ・・・

勿論、周りと比べれば劣る部分が有る・・・本人が一番解っている部分・・・その為に、思いも深いと思う・・・・

しかし、よく考えれば、周りとの比較・・・この周りが誰かでも変わる・・・・超一流の陸上のアスリートと比べれば、殆どの人が劣っているが・・・之を障害とは考えない・・・


仮に、自分自身でも、20代の頃は速く走れたら40代に成ったら、走れなくなった、之を障害とは考えないし、異常とは考えない・・・


しかし、普通と言う基準が出来ると、異常という感覚が出て来る・・・


結局、医療界の問題というより・・・社会の保養力・許容力の問題に成る・・・・・人の個性を認め、其れを受け入れて、足らない部分は手助けする・・・之が健全な社会と思うが・・・・

最近は、全てに基準を設けて・・それ以外は、認めない、他所に行けと言う、態度を示す人が増えているし・・・・この流れで経済界も進んでいる。

三男の様に、五体不満足の人が住み易い、世界に成るか???・・・・逆に成るかは、私たち一人一人の考え方、価値観に成っている・・・


結局は、強い立場の身勝手が通用する・・・この方向に進んでいる感じが私はします。

私の仕事も、メーカーの意思を考えると、この流れに成っている・・・メーカーが思う流れで買い替えを続ける、ユーザー意外、要らないと成りつつある・・・

修理で、生活を立てている私など・・・修理が出来ない様に、部品の供給が、有る年数が来れば、簡単に無くなる・・・奇麗な修理が出来なく成るが・・・・・市場では簡単に買い替えが出来ないユーザーが多いし、如何にかして、メーカーの指示を害しても、修理を願う人も多い・・・

以前は、この様な修理も、ユーザー責任で行っていたが・・・・最近は、何か有れば、修理人の責任に成る時代だし、ユーザーが責任逃避する時代・・・・結果、メーカー指示、方向に進むしかない・・・

日本以外には、日本製の古い機械が多々、稼動しているが・・・日本国は何時も新製品が有る世界に成って来ている・・・

結局は、市民意識に成る・・・・・自分の意見・意識の中に、色んな価値感・個性を含みで考えているかになる・・・・

日本人に多いのが、自分の意思と言われた場合、格好を先ず意識して、本音を言わない・・・この格好は、一般的に受け入れてもらえる、範囲で、言葉を発する・・・

何故かは、除外されない為・・・・・この部分が解っていれば、除隊される人が居るという事・・・・
之が、益々、基準化を進めるし、その基準から外れる事を、恐れる流れを作って行く・・・・

私は、五人の子供に恵まれたが、一人一人、個性が違うし・・・勿論、価値観も違う・・・しかし、子供には違いは無い・・・・もし、強過ぎる個性の子供でも、私の子供に違いは無い・・・・

現代の幸福感は、この基準に即して、その基準内で長けている、之が幸せの基盤と思っている人が多い・・・・その基本に成る、基準が、ドンドン広がる方向なら良いが、狭まる方向に流れている・・・・

この狭い基準に合致しない人が増えるのは当然・・・・この事は不幸と思っている人を増やし続けている事にも成る・・・・

このまま進めば、青年期の五体が、正常で・・・・其れが基準に成れば・・・・私の様に50代の五体は、不正常に成る・・・・

結局は、生物の四苦「生老病死」に対して、何の答えも出していないし、逆にこの部分を恐れ考えない流れに成って行く・・・・老いる事も恐れ・・・病も恐れ・・・死も恐れる・・・この方向性を強くして、それから逃れる方法を、貪る人を作る事に成る・・・

以前も書いているが、逝った母が言っていたが「老いる事を楽しむ」「病を楽しむ」・・・この意味を私は考えている・・・・

結局は、五体不満足に成った時に、社会が受け入れるか、除外されるか・・・この部分だと考えている・・・若し、受け入れてくれないなら、苦労・苦しみと取る価値観でなく、楽しむ価値観に変える事だと私は考えている・・・社会の一員に成るし、社会が悪いという事は、自分自身が悪いという事・・・・

その結果、除外されたら、自分が自分を除外した事に成る・・・・之を面白いと捉えれば、楽しめると思う・・・・


この様な事は、簡単にイメージが出来る・・・・今の環境に溶け込んでいる、溶け込めない方法等直ぐに解るはず、其れを行えばどう成るかは予想が出来る・・・・予想が出来る事が起きても怖い事では無い・・・・若し、怖いと考えれば、その環境に溶け込もうと永遠に続ける事に成る・・・・

出来る訳が無い・・・・・・・之が出来る人は永遠に老いる事が無い人に成る・・・・

結局、自分を飾らず見せている方が良いと言うこと・・・・環境に自分の個性を受け入れてもらう努力という事・・・・この部分の努力も本来はない筈だが、基準・規格が厳格化すれば、努力が必要に成る・・・・

面白い事だが、孫が泣く・・・勘の虫が出る・・・・之を基準外と考えていても、現実に起きる、之を許容できなければ・・・孫守も出来なくなる・・・

基準化が進む事は、勝ち組の基準に成る・・・・健常者も優秀な人の基準になる・・・この方向が、五体不満足や弱い立場の人に取って、良い環境か????
若し違えば、子供を育てる、この当然の行いも、苦痛に感じる世の中に成る・・・・

生物としての、義務さえ放棄する人が増え出す事に成る・・・・






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