我が国、近隣の世界情勢が、最終局面に到達する・・・時期を設定した、感じが私はします。
営業で言えば、アプローチを今まで続けていた・・・・この時期は、色々有るし、如何変化しても、答えでは無い・・・・
しかし、話し合いが、結論へ近づける場になる。
営業で言えば、買って貰えるか、貰えないか・・・又、買って頂いての別の業者になるか・・・等々の結論に成る、
勿論、後に伸ばすと言う、結論も有るが・・・・
この話し合いで、確り、決め・・・その後のトラブルを避ける為に、確り文書化等々が必要に成る。
話し合いは、今後の事を決める部分・・・この部分が不確実なら、話し合いをして営業マンの技量の無さに成る。
白人世界で、一神教的価値観・・・有色人種を人間と見ていない部分も有る。
支配する立場・支配される立場と二極間で考える価値観の為に・・・勿論、支配する立場は白人と思う人も厳然と多い・・・
本来、支配等々の発想が、間違いと思うが・・・優劣感で、人を判断する価値観なら仕方が無い部分・・・
以前書いているが、日本人の本来の発想なら・・・問題に対して、身内、特に血縁が近い人が、人身御供に成る等々を誉に思う、価値観が有る。
何故か、悲しむのは自分の責任・範囲内で収まる、これを望むから・・・他人様に迷惑を掛けないこの思いにも繋がる。
負を背負う、これを誉れと思う哲学と、価値観が有ると言う事・・・
しかし、現代の日本人も西欧化して、その部分を背負うものは弱い人・劣っている人が背負うと勝手に、思っている。
この意識が強いのが西欧人に多い・・・
原爆も、有色人種の日本国だったから出来たという人も居る。もちろん、その後、朝鮮半島で使うと言った、元帥も居る。
結局は、生命の重さにもレベルを作っている事に成る。
全て平等だと思えば、人間と言う種族での違い等々、些細な部分に成るが・・・・
簡単に書けば、人は、狐と言う種別の動物を少しの違いで、区別等々、基本はしない・・・
些細な違いでも、狐は狐と思っている。狐の顔で区別等々、人間には至難の業に成る。
しかし、狐の研究者は、違いの解り出すと思うが・・それで命の上下等々、判断もして無いと思う・・・
若し、人間としてレベルが高い人なら・・・人の違いを寛容な心で受け入れる事が出来ると思うが・・・
逆に、この部分を、一つに纏め、ブタ的種族と認識していれば・・・・小さな違い等、解らないに見様ともし無いと思う・・・・又、其れ程度の命と、切り捨てることも簡単に出来る。
全て、価値観の問題に成る。
自分に取って、利に成る人は必要だが・・・・不利益に成る人は不要と言う価値観・・・・国は滅びても、金さえ有れば良いと言う発想・・・
全てが自己保身、自分以外の不利益もたらす人は排除・・・・・之が正しいと考えてしまう・・・怖いと私は考えている。
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