労災で休んでいた、嫁が、今日から、勤めを開始・・・・
妻を働かせる・・・・・私の頭には無かったし・・・男は稼ぐ・・・之が当たり前で、その稼ぎで嫁が、家族を守る・・・大蔵大臣的な立場だと考えていた。
申し訳ないし・・・私の力不足に成る・・・・
今日は、長男も何時もの様に、母屋で、ゴロゴロしている。
弱い立場と思うなら、何故、各の方向に進むのか???・・・弱いなら、集団方向が、私は良いと考えているが・・・・
しかし、集団に成ると・・・損得勘定が出てきて、損していると思うと集団の意味が無くなり、出ようとする・・・・
本当の損得勘定とは、損の部分は直ぐに気付くが、得の部分は気づき難い・・・この差が、結果として損と思う方向性を強くする・・・・・損を重んじ、得を軽視すると言う意味も有る・・・・
本来得をしているが、其れを当たり前と考える風潮が有ると言う事・・・・得の部分が当たり前なら、益々、損が重荷に感じる方向に成る・・・・・
結局、物事には人の思いが有る・・・・この思いに対して、どう評価されるか???・・・・仮に精魂込めて、有る物を作った・・・・その評価が価格に成る・・・・・作った人の思いと、対価が大きく安ければ、本来は手離さない・・・・之が普通で有ると私は考えている。
思いに対して、対等な対価やそれ以上受けた場合、初めて手放す事を考えると私は、考えている。
しかし、思いより、現実、その物が、今では価値に成っている・・・・同じ物が、色んな価格で販売されれば、安い方向に向うのは必然・・・・
この流れが、最近、続いている・・・・・・本来、仕事の対価・・・・この考えが昔だったが・・・今は対価の為に仕事・・・・順序が逆に成っている感じがする。
この様な方向に成れば、仕事と言う事に対して、プライドも責任感も無くなるし、勿論、仕事をモット、成熟させたい等々の向上心より・・・・・対価を求めて、向上すると言う流れに成る・・
仕事さえ、対価次第で変える、180度変るという事に成る。
現代は、ストレートにお金、この方向を真剣に、考える事が、優秀で一流と言う人かも知れない・・・
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