長男は、何時も我家に来ている・・・・
今日は、次男家族が、夕方から来訪・・・・
フォークスが勝ったと嫁と、長男が喜んでいるが・・・私と次男は興味が無い・・・
長男は帰ると言う事で、次男の若嫁が送って行った・・・・今晩は、昨日我家から持ち帰った食材で、水炊きと喜んで帰って行った・・・・長男夫婦も仲良く、家族だけの食事も大事だと思う・・・・
次男家族は、夕食を我家で取ってから、帰ると言っている為に・・・嫁がビールを買出しに近所のスパーへ・・・・
子供達にはお金が掛かる・・・・しかし、彼達も、私の体を心配してきていると思う・・・・
全てにおいて・・・弱っている事は私も自覚している・・・・子供は有り難いと思う瞬間でもある。
色んな人が、心配して、我家に来訪される・・・・逆に、微力だが、力を借りたいという人の来訪は一気に減っている・・・・
之も人の力加減のバロメーターに成る・・・・・力が少し有る時は、その部分を目的に、必要と思われる人も居られるし、又その思いが足を向わせる・・・・
逆に、力が無くなり、人の手が必要と成るに従い、その様な人の足は向わなくなる・・・・・
肩や背中を、貸す力は無いが、心配だからと足を向わせる人には、心から感謝に成る。
今まで、色んな経験もしてきたが、人の振舞いを見ていると、何時も面白いと思う・・・・
有史以来、この様な営みを人は続けてきたのかとも思っている・・・勿論、文明も発達して環境は変わってきているが、人の本質の心は、殆ど変わっていないと思うし、逆に、温かみや、優しさと言う部分は、無くなって来ている感じもする。
共々に生きる、この感覚が無くなって来ている・・・・戦争中と同じで、自分だけ・・・己だけ・・この思いが強い人が、何故か、平時と言われる現代に増えている事は・・・若しかすると心の次元では、戦時中に近い状況・環境なのかも知れない・・・・
之を、私は心の悲惨と勝手に言っている。
ブランド品を身につけ、格好よく振舞っているが、心は悲惨・・・哀れだと思う・・・・
三流以下の私だが、心が豊かなら・又幸せと感じていれば、その方が良いと思う・・・
人と比べる部分でも無いし、そう思える様に、自分自身を教育する事だと私は考えている。
比べるから、格差を感じる、その差を、何故か上下や優劣として評価する・・・この部分が不思議だと思う。
比べて勝手、何か意味が有るのか、勿論、心に成る・・・・逆に負けて、何か意味が有るのか???・・・・
この前、友人が先に逝ってしまった。その際、同窓の友が、先に逝った奴は負けだと言っていたが・・・・早いか遅いかの問題・・・・誰しも同じ経験を必ずする・・・この部分で、早いから負け、この意味が私には解らない・・・・
人の「生老病死」の部分で、勝ち負け・・・この発想も不思議と思っている、生まれる之に若し勝つという意味が有るなら・・・裕福な家に生まれる、貧困な家に生まれる、この一点でも勝ち負けの価値観で考える方向に向う・・・之が本当に人の心を豊かにするのか???私は、疑問が有る。
誰しも経験し、その環境、レベルで、対応が違うだけの当然の事・・・この当然の部分は違うと言う事、この部分を確り知っていればよいし、この部分が学ぶことだと考えている。
今の環境ならと言う前提で物事を考えれば、大昔は全ての人が不幸と言う事になる。
私はそうとは考えていない・・・・
現状で、分を超える、心使い等々を受ければ、やはり、嬉しいし、感謝に繋がる・・・
結局は、物事に対して、憎むか・感謝するかのどちらを選ぶかを、人に問われている事に成る。
この人のお陰で、一杯苦労をした、だから今が有ると成れば、感謝が出来る。
勿論、今を良しと思えなければ成らないが・・・・
人の振舞いで、配慮や感謝という行動が出来る人は、幸せだと言う事に成る・・・・出来ない人は、不幸だと心が感じている事に成る。
同じ現象でも捉え方次第で変わる・・・・全て感謝に繋げる、之が生きる戦いだと私は、考えている。
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