隣組に配る、チラシを、受け取りに、夏祭りの責任者が来訪・・・・
今日、決まった、祭りの設営の為の、集合時間等を記載した、チラシを、担当、世帯に配る、之が残っている。
この様な、処理・・・・誰もする人が居ないし、何故か、私に聞いた方が、事が早く済むと、成ってしまっている状態も、不思議と思う・・・
無知だから、知る努力をして、記憶力が悪いので、文書として保管しているだけの、誰でも簡単に出来る筈の部分・・・
勿論、写真や動画としても、残している・・・
責任者に成れば、人様のお金 又、思いを預かっている身になる・・・之に対して如何答えるか、之が大事だが、答える為には、その責任について、知る必要も出て来るし、知らなければ、学ぶ事が必要に成る・・・・・知った上で・・・人様から預かっている部分に答える、この方向に成る・・・
しかし、人様、一人一人思いは違う・・・之も確り知る事が必要だから、人と話す、対話が必要に成ってくる。
この全てを解っている人と、私の様に解っていない人とは違うし、責任者以前の部分からの勉強に成る・・・・
仮に、昨年度、納骨堂の責任者に、選出されたが、無知で、村でも異端児の私・・・知らない事が多々有る・・・規約等を、頂いた、過去からの引継ぎの箱を開けて、探すが、中々、無い・・出てきたのは、家督制度が色濃く残る、時代の、会員規約・・・現代にマッチしていないと直ぐに解る・・・・
又、会員に連絡等をしたいと考えても、会員名簿も、納骨堂が出来た時の発起人等々の名簿は有るが、それからの以降部分が記載が無い・・・
責任者として、選出されたが、引継ぎが全く無い・・・之で、この役を遂行しようとする事が無理だし、何事も無く、墓守を続ければ、良かった、次年度は知らない、こんな流れで、何十年も過ぎた事に成る。
結果、会員名簿位、確り、作ろうと思っても、今度は個人情報法がネックになり、名簿を作る、この作業も困難に成る・・・・しかし、一年続けて、約、半分の名簿は出来た・・・
この様な状態なので、本来、役を頂く、誉のはずだが・・・現実は、ババ抜きのババを引いたという思いが強く働く・・・・損と考えるから、出来るだけ、損しない、何事も無い、任期間を望む、結果、何もしないと成って行く・・・
この、逃げの姿勢で、お疲れ様という、価値観で、一部の者が、会員から集めたお金で、飲み食いする・・・之を得と考える人が居るから、この部分だけを、求めた重鎮も多くなる・・・
最終的には、悪しき循環が続く、環境と言う事に成る・・・
今日も、どちらがお願いする。この部分で疑問が有ったので、会合中に、質問した・・・
責任者側も持ち回りで、たまたま成った、この事は、その隣組を代表して、成って頂いたと言う事に成る・・・この事を基本に考えれば、隣組住民一同が、宜しくお願いいたします。之が筋だと考えている。
又、気持ちがババ抜きのババを引いた人達に成る。・・・住民側が感謝しても、間違いでは無いと思う・・・
勿論、形上・・・責任者側が宜しくお願いします。之が、普通だが、住民側に、この気持ちが無ければ、責任車が頭を下げた、意味も大きく変わってくる・・・
私は、責任者が頭を下げた、なみなみ成らない事と考えるのが・・・当然と考える、人は、自分が親分や強い立場と勘違いしている人が多いし、お世話をしてやった、その為の見返りの飲み食いをしても、問題でないし、当然出来るものと考えている人と、成るが、その事も気付いていない・・・
よく上に立ちたいと考える人も居る・・・しかし、この様なお世話をする、下働きの責任者には何故か立とうとしない・・・・同じ、上に立つ事だが、場合では変るという事・・・
お山の大将を望む、人は多いと言うこと・・・
私が、今まで行なったことは、その行事に対しての、伝えるべき部分を文書化しただけ・・・之は当然のことだと考えている・・
同じ事で、家の後継者に、引継ぎも有る・・・口頭で日頃伝える、努力もしている・・しかし、聞く耳を持たない・・・
それなら、文書化する方法しかないが、文書は正確にニアンスが伝わり難い部分が有る・・又、文書化は、見ようとする行動が無ければ、意味を成さない・・・これが問題・・・
村の事も、同じ事で、毎年の恒例事業・・・・その時に疑問を持てば、調べたいと思う、昔なら、資料もないし、聞きに入ってもこんな事も知らないのかと、怒られる事に成っていたが・・・少しづつ文書化している気持ちが有れば、勉強は出来るが・・・
現実はお世話の担当責任者に成ってから、思い付かれる様だ・・・・勿論、私もその中の一人になる・・・
又、村の行事で、動かれている人の、年齢を見れば、私位の年齢が、若い方になる・・・この様な下働き部分は、若い時に経験している事が、大事・・・此経験が無ければ、自分が凄いと勘違いして、こんな事、出来るかと傲慢な気持ちが出ると思う・・・結果、壮年に成っても参加する事を拒む命が出て来る・・・これが孤立化を又促進して行く・・・・
何時も思うのが、母が言っていた事が、正しいと思える・・・・座布団に座る、又座りたがる人は多い・・・しかし、下働きは、逆にしたがる人が少ない・・・
本来、座布団に座る人、一人居れば、最低でも下働きをする人が5人居ると教わっていた・・・
この下働きをする人が居なければ、幾ら立派な楼閣でも、一寸した事でも崩壊する・・・・
この様に考えれば、家族の中で、下働きが五人居れば、ギリギリ座布団に座れる立場の一人がギリギリ、保てる環境になる・・・・この部分が無ければ、数人の人で、五人分の下働きが必要に成る・・・
座布団の上に座る、之を求めなければ、下働きも苦労し無いと言う事・・・
しかし、無知は、知る権利が有ると私は考えている、この権利が又、面白い・・・
権利だから、行使し・・・知っていると思われる人に教えてもらう努力が必要に成る・・・・
この立場の人が、多い世界が現代、しかし、中々教えてくれない、その理由は????・・それに負けないで、権利を主張する・・・この権利の主張は大事だと私は考えている・・・
奉仕をしたい、人様の為に頑張りたいと思う気持ちでの、権利の主張は、利他に繋がるので私は良いと考えている・・・
逆に利己の為に、主張する権利は、私は好きでない・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿