嫁の動き早い・・・
「病院の行くぞ」と言ったら、速攻で車に乗り込んでいた・・・五男も伴い・・・
一路・・・佐賀の病院へ・・・
明日、退院・・・保育器越しに見るのと、大きく違う・・・
五男は、触る・触る・触る・・・私は怖くて、触れない・・・・
私達夫婦の孫が、之で男の子と3人・・・女の子2人に成った・・・・
総勢5人・・・マダマダ、これから・・・と・・・考えている・・・
私の嫁の里の・・義母も・・・私の五男が、二十歳に成るまで、生きていたいと言っているし、出来れば、五男の嫁も見たいと言っていた。
義母からは、見ればひ孫に成る・・・その総勢は之で、8人・・今年又一人増える・・・
この人の広がり・・・末広がりで、希望を湧かせる、要因にも繋がっている。
話を聞くより、見る、之が人の欲求としては強い・・・明日は、退院した足で、新築の家の、壁紙を選ぶ為に、義母家に行くと、次男は言っている様だが・・・その際、赤子を見せる事が出来れば、義母も喜ぶと思う・・・・・
親孝行、色んな形が有る・・・・孫の顔を見せる之も一つに成るし・・・出来れば、私もひ孫の顔を見たい・・・・
人とは欲が多いと思うが・・・この欲が生きる糧なら、必要かもしれない・・・・
この子も、時期、くそババ・・・くそジジと言う様になると思うが、それも楽しみ・・・・
優しい、祖父母が多い中、厳しい祖父母も居ても良いと私は考えている・・・それが出来るのも、孫の絶対数が必要に成る・・・
数が少なければ、どうしても、ジジ・ババの欲や期待が大きく、加わる・・・・
私は、三流の人間だが・・・恵まれていると思う・・・力は無いが、孫の顔を又、見られた・・・・
一生、どう足掻いても・・・100歳まで生きることは、稀・・・100年以内で、何を経験されたが、私の歴史に成る・・・美味しいものを食べても死ねば終わり・・・この様な一過性の瞬間的、価値を貪欲に求めても意味が無いと私は考えている。
この経験は、出来れば、未知・未経験部分の経験した方が、面白いと考えている、それが、きつい事でも、経験すれば、きつさも現実として解る・・・・
この積み重ねが、人生の厚みに成ると私は考えている・・・・同じ一生なら厚みが有る方が、生きた証だと思う・・・・
要は、あの世が有れば、その場で、先祖に確り報告が出来る、之を今培っている事に成る・・・
先祖の、喜ぶ顔を出来れば、見たいと私は考えている・・・・
之が墓守の精神にも成る・・・・
結局、自分が入る、墓、之を知っているか知らないかで、大きく考え方が変わる・・・
この部分も子供達には、折に触れ言い聞かせているが・・・聞く耳を持たないし、何故か縁起が悪いと捉えている・・・・
之も、現代の価値観かもしれない・・・・
死を、外に置いている考えになる・・・死も生きる中で起きる当然の事・・・普通の事だが・・・これを理解していない・・特種や有り得ない事だと、勝手に思っている価値観が有る・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿