2025年2月7日金曜日

六道輪廻

 仏教用語で六道輪廻と有る、先のブログにも書いたが人は基本、六道輪廻を繰り返していると言う考えに生る。仏教も小乗仏教と大乗仏法が有る。前者は小さな乗り物・船という事、乗員にも限界が有り選ばれた人と言う限定した世界、後は、大きい乗り物、船という事、乗員は無限で有る。又、小乗仏教から伝播したために、六道と、仏との格差を埋める事が出来ない、結果、土着信仰から来る、神々や如来等々を、具現化して菩薩という形にした。結果、土着信仰・古い信仰のお頼り信心、縋り信心の他力本願的信仰に仏法も成っていく、大乗仏法は何回という事で広がりが難しかった、その為に、此を祈れば叶う等々、言う宗教団体が多々有る。人を殺したいと祈って、叶ったら責任を問われることは無いのか???全て自業自得で有る・・・

六道輪廻とは、地獄・・苦しみ・悲惨と言う次元。餓鬼・・餓え乾きに悶える世界。畜生・・我欲のままに生きる世界。修羅・・争いが絶えない世界。人・・平常心の人の世界。天・・一瞬の快楽に酔いしれているときだが長続きはしない・・・この世界を、自由に動き回っているのが人間だという事に成る。当然、小乗仏教的には、このレベルに人のレベルを限定して縋り付く対象物を仏とした為に仏法が歪められ誤解され伝わっている。仏法とは、難しい哲学書、実践できるかを解いている。何の実践なのか、仏とは命の中に存在するもので具現化は己の言動でしか表現できない。仏の命で、菩薩の言動を行えという事が仏法・・・にんげんが己の命・財産を捨てて其れが出来るのか???私は不可能とは思わない、現に志願して、戦地の最前線で、戦死している若人が大勢居る。命の使い方に少し疑問が有るが。三悪道の、地獄・餓鬼・畜生の上のレベルの畜生道になる。

人は六道輪廻の世界しか知らないし、脱し出来ないと思っている。結果、神に縋るように、仏rにも縋るという週間、本能が有るし、其れを国や集団のガバナンスに利用する・・ローマ帝国等に成るし、他の国家も略同じ特徴・・・

六道輪廻から脱するためには、読み聴くという作業で己の価値観を変える方法が有る、此を声聞と言う・・・又、人様との縁で覚ると言う、縁覚のレベルが有る。覚ったら勇気を持ち、言動で具現化していくことになる。各々の宿命・宿業で違う持場になるが死守し守り抜く事で、菩薩となる。此を繰り返し深くなるに従い。覚るから。仏の悟りの境地の一端を見れるかも知れない。

六道輪廻の怖い部分は今世だけで無いと言う事、今世でも輪廻なので、一瞬一瞬、変改移動じょしているのが人間、しかし、どのレベルに居るのが多いのか、その人の命が求めるレベルに成る。仮に畜生道にいる時間が長く、此に疑問も持たない当然と思うなら、来世は畜生道の環境の中に生まれるというのが、仏法でも有る。何故、三悪道が増えるのか、末法が進むに従い、疑問を持ち、何故と研鑽する人が減る、当然、人間としての生き方に対して・・・・学びたいと縁を結jぼうともしない、この現状を見て、どの方向に進み、誰の助言を耳にしているかを見れば己の来世の環境も見えて来る。

諸法実相とも言える各宗派で捉え方は違うが、大乗仏教の根研とも言える、私の独断の見解だと、色んな法が有るし色んなレベル環境が厳然とある。その中で振舞っていくのか????又その振舞で、仏を見せる事が出来るのか、当然、凡夫と言えされる人間の立場でと思っています。此も経典にある、周利槃特と言うブッタの弟子、一番の劣等生であるが、先輩でした弟子達のお手伝いの下働きをしたいので、今で言えば学校を中退するとブッタに告げたことで、ブッタは弟子の中で、私の命が解っているのは、彼しかいないと経典に来ている。

悟りの境地を得たいと競い合う、兄弟子達・・・それに付いていけない弟弟子の劣等生・・・兄弟子の役に立ちたいと己を捨て去ることが出来た。周利槃特が凄いという事、風貌も劣っている、出来る事も下働き、それでも仏の境地だとブッタが言っている。範読の重要性も、このれが一つの材料になっている。

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