2024年1月1日月曜日

希望!!!

 将来・未来に向かっての希望!!!・・・これが無ければ、生きる意味も無いし、生きる意欲も沸かないとなる。

私は、小学校の頃から希望という言葉が好きだったし、丁度「希望と言うな唄」が流行っていた。

希望・・・幼いから、大きな我欲が顔を出す、こうなりたい等々・・・分を越える、欲を希望と捉えていった・・・その際、ある先生が、希望を持つことは良い、しかし、それを叶える為には、当然、力が必要だし、その分が必要に成る。それが無ければ、それを学び、身に付けることになると・・・

新聞配達等々、お金を稼ぐ事を行っていたので、道理は解る。お金が欲しいからアルバイトをしている。しかし、環境でも変わる部分が、稼いだお金、どうなるか????・・・幼いから全て己の為と言う思いが強かったが、結果的に家の糧として使われていた。

この部分を、環境が悪い、子供からお金を巻き上げていると言う捉え方も有るが・・・私は、私の家族以外に、他の家族の一員と成れる自信は無いし、今有る家族を、己の思う理想に地がづけることが出来るか???と考えれば、当然、力を付けるしか無いとなる。

私の感覚では、大陸的・一神教的な価値観が少なかった。要は、逃げる・避ける・何から、己の環境から・・・此が無かった。今の環境を如何すれば????これが私の希望になっていた。

結果、父が商売を失敗し、倒産、多額の借金を背負う事に成るが・・・逃げようとは思わなかったし、その時、既に結婚していたので嫁も、私から離れようとしなかった。この期待・希望に応える、責務が有ると私は捉えていたので、当然、大変だった、私のレベルだと、何度も死んだ方が楽だと思う事も多々有ったが・・・希望が有るから、生き延びれたと私は信じている。

妻も、人が良すぎる、結果、人に名前を貸し、知らないうちに多額の借金・・・己が借りていないので、訳が分らない嫁・・・良い鴨として妻も扱われていたと言う事・・・しかし、名義は妻、当然、払うことになるし、その処理、何度も有ったので、普通の家なら二件分の借金を返すことに成ったが・・・・それで、家族が維持でき守られるなら安い物だと、捉えきれる、己に成っていたと言う事になる。

一回目は、母親から、妻が高級車一台分くらいの借金が有ると思われる電話が掛かっていると、言われ・・・男なら、高級車を事故で無くした程度で捉えろと言われた時に、お金と妻との天秤に掛けている私の見抜いて母が言ったと今では感謝している。

どんな状況でも、希望は持てる・・・特に、現状・現場から逃げたり、避けたりしなければ・・・展望は絶対に広がっていく事に成る。

私の、今までの経験で得た知恵になる。正々堂々と己の姿のママを見せて進み続ける、その歩みが遅しくても前に1ミリでも進むなら良しとする。

何故か???私は、鬼畜の命が強い、結果として直ぐに損得勘定、何を基準に己の価値観を基準に考えるタイプになる。要は本能が強いという子と、頭、意識が支配していない、愚かで劣っている三流の人間だと思っている。

その為に、嫌・負・損からは、一目散に逃げる・避ける、この能力は無意識でも長けている。理由は鬼畜だからになる。

しかし、先に書いた、希望に対しては、中々、一歩の踏み出しも出来ない。頭では解るが、体が拒否する、理由は鬼畜だからになる。

誰か、勇気が必要に成る。己の我を抑制できる勇気と私は考えている。

勿論、日本人は、優秀で一流の人が多いので、私の様に己の中で、闘う事は無いと思うし、無意識に、人様に対しての奉仕が出来る人々だと私は信じているし、そのレベルに私は成りたいと願っているから、近づく為に、頑張るしか無い・・・・

しかし、天は、私に色々な私に試練に取れる・・テストをされていると思う。幼い頃は、己が稼いだお金が己の思うように成らない・・・その後は親の尻拭き作業・次が妻の尻拭き作業、何方もお金に成る。勿論、親族等々も有るが・・・丸く収めるためには、誰かが責務を背負い完済することになる。

唯物的、お金で試され続けた。それに合わせて、体、命に関わるテストもされている。生き残っているという事は、まだテストが続くという事・・・・・

今は、指定難病を患っているが、今日明日に死ぬと言う病で無い。その点、時間に余裕が有る。物の試練・命の試練・次は時間の試練だと考えている。

時間が無い、当然、寿命と思う。

楽しみに待ちたいし・・・それ前の今の課題もマダ残っている。此も解消する方向にしなければと思っている。

資産・財産・等々の、唯物的物を得て、残しても、人が居なければ意味が無い・・・人、命を育てる。此が希望に繋がるし、希望の姿という事に成る。

仏教経典には、現実の社会をどう変革していくか・・・改善していくか・・・を問われている。

以前書いているが、西遊記・・・経典を求めて、旅する、経典に幸福が有るので無いかと言う思いで、旅を続けた、当然、旅の途中は現実社会、色んな課題が有るが、それを改善出来ない、諦めている現実が有る。

それを孫悟空等々の頑張り手、変えていく・・・結果、寂光土を求めてガンダラが・・・彼達が歩みを進めた処が、寂光土に近づき変わってきたという、希望という意味と私は捉えている。

その為に、今の持場は死守する覚悟で、取り組むことが私の場合、逃げやすい命なので、大事だと考えています。

父母を変えるわけにはいかない・・・どんな親でも、私には親で有るし、当然、大事にしたいと思うし・・・少しでも役に立てる己でありたいと考えている。

この思いが大事だし、幸せの根源だと私は考えている。

その為に、貧困な地域・国で生き抜いている子供達を見ると、この思いが何故か、恵まれている日本国の子供より、有るように思うし、私の目からだと、日本人より幸せそうな目の輝きをしている。

希望に満ちている。将来が期待できる。

間違っても、己から、家畜・奴隷になろうとしては駄目だと私は思う。

己は己・・・人各々違う・・・・同じ訳が無い・・・・

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