私は育った環境の影響を多々受けている。
昭和36年に生まれた・・・その当時の価値観も持っているし、今の価値観も回りを見ていると、少しは感じているが、解ると言うレベルでは無い・・・
今、床に落とした食材、汚いと口にしない、昔の床と今の床、雲泥の差が有る。当然、昔の方が汚く・衛生的で無かった。
それでも、己のミスで落とした食材、当然、勿体ないと口にするのが、私の幼い頃の、常識・・・お金持ち等々の、一流で優秀な家の子は汚いと口にしなかったが、私は格好を付ける、対面を為の芸だと幼い頃から思っていた。
私は、何も言われなくても、食べられると己が思うなら、木でも口にしていた。また、大人も、この野菜、肥やしが効いて旨いと言っていたし、肥やしとは、人の糞尿・・・糞尿が効いて、美味しい、此を当然の様に思っていた。
今、ケツを拭いた、紙、当時は新聞紙だが、この新聞紙が野菜等に付着していたのが美味しいと言うこと・・・現代の日本国の価値観なら、有りえないと思うかも知れないが、私の住んでいる狭い地域ではこの様な捉え方、価値観だった。
私は、職がら・・・色んな職種の裏方を見てきた。
有る、神仏等の寺院に納めている、品物・・・勿論、息も掛けられない要は品物の様に、寺院では扱われているが、それを製造している現場は、足下に落ちて踏んだものを集めて、出荷したりしている。
又、此も何度も書いているが、肉を食べたい、肉として今は有るが、昔は、肉と言えば、鶏、生きている鶏、一羽買ってきて、それを締めて殺し、血を抜き、羽を毟り、食していた。当然、血が飛び散る惨状を見た上で、肉は旨い、盆正月の御馳走と、喜んで食べていた。
今の人は、糞もする、牛や馬の腸を旨いと食べている。当然、その前に長から糞等を取り除く作業を行なっていることに成る。この部分が無い事のように振舞っているし、その後の振舞も、些細な髪の毛1本で大騒動を起しているような現状が今は有る。
何度か書いているが、この様な負の部分にドップリ浸かっているのに、私は綺麗・汚れが無いと言う前提で、些細な負を拒絶、有りえない~~~等々、口から吐いている。
見ていて、私は可笑しくて、笑いたくなる。
今日も、私は、飼い犬の糞の処理を行なった。誰かがしなければ成らないし、犬も生き物、糞尿も当然する。又、その臭い等が気になる人も居るので、片付け・処理する事は当然だと思っているから、勝手に体が動く・・・
私が怖いのが、負が無い、綺麗で正しい、この方向に人は進みやすい、しかし、現実に汚い・負が存在しているから、それを避けたいと言う思いが強いと言う事、この思いが強いかは、その人の言動で解ると言うこと、些細な事でも大騒動・・・この様な人は、負や損から逃げたい、避けたいと言う命が強いからに成る。勿論、現実は知っているが、表面だけは綺麗さ対面を保つ為に、必死に綺麗事と並べて、結果、些細な負からの逃避に成っている。
私は、その様な人は可哀想だと思う。
現実に昔は、車が通る道で無いと罵られ、頭を下げて、道の角を落としてもらい、ヤットの思いで、車を購入した、我家・・・その後は、誰もその道が有るから、当然の様に使っている。
又、道も拡張され、今度が大型のトラックが走行、その振動が~~~等々、言い出す・・・人とは不思議と思う。
一貫性が無い・・・その時々で、大きく変化する。
これで良いのか???・・・何時も疑問が湧く・・・
与えられた環境の中で、生きるしか無い・・・受身が基本・・・その環境が悪くなるか、良くなるかはその世界に居る人、この地を守りたいと言う思いが有るかだと私は考えている。
逃げる事は容易い・・・しかし他も同じだと私は、心の中では思っている。この場を変えなければ、その為には????・・・それが私の課題に成る。
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