私は人に仕えようと思っているし、又、行っている。
人と言っても、色々有る・・・私は、己の分で、近場の人、先ずは家族と考えている。
何度か書いているが、私の分で最大に広げても、親族か行政区位の範囲しか、人を識別できないし、それ以外の人は、基本、知らない他人に成る、他人の中でも何かの縁で知っている人も居ると言う、世界・範囲で生きている。
この、知る範囲の人々の為に仕えたいと考えていることに成る。
しかし、三流で力も無い、無能な私の場合、当然、思いは有っても出来るかと言う現実的問題も出て来る。その為に、優先順位を私は持つことに成る。
最低限でも、家族の為に仕える・・これは死守する義務だと思っている・・余力が有れば、次の優先順位と言う、方向に成る。
差別主義者と言われるのも、己の力が無い為に、仕方が無い部分と考えている。
三流の私が居る家族・当然、三流と思うし・・三流の人々に仕えていると言っても良いと思う。
しかし、現代は西欧的・大陸的・一神教的価値観が蔓延しているので、この仕える相手さえ、己を飾る方向を求める人も増えている。
要は、私はバカに仕えていますと言うより、優秀な人に仕えていますと言った方が、肩書が輝くと捉える人が増えていると言う事に成る。
結果、神に仕えている・仏に仕えていると、己を自称した方が、格好が良く見えると思い込んでいるし、その様な社会の意識に向かっていると言う事にも成る。
若し、之が、常態化すれば、誰に仕えるか????と人々に質問したら、誰しもが神・仏等々、実態が無いものに仕えているという方向に成るし、悪く言えば、仕える事から逃げている事にも成る。
仮に、家族の為に仕えていると成れば、家族に対してどの様な言動・結果を出したかが問われる。
要は、個人を限定される方向に成れば、直ぐに仕えているかの嘘が解ると言う事に成る。
私は、この地で生まれ、この地で死んでいく、之を確信しているので・・・この地に住む人の為に仕えたいと思っている。しかし、何度も書く様に力も、能力も無い・・・無いが出来る範囲で、仕えたいと考えている。
この地が、地獄なら、少しでもこの地を良くしたいと願っているし、その願いが仕えている中で、叶えられるなら、本望と考えている。
長い年月と言うより、歴史と言った方がよい、途方もない人々が介在し、今の世界を作っている。これを微力と言うより、無いに等しいと思うが、少しでも良くしたいと言う、思いが有るから、仕える事も出来ると考えている。
人を養う、田を耕す力を男と言うなら・・・・男だから人様を養うこれは当然の事に成るし・・・それ以上の思いが仕えると言う考え、思想に成ると考えている。
私は、若い時に、先輩から、この部分を学んだ・・・誰に仕えるか????・・・当然、名の有る人の名が頭に浮かんだが、それを否定された。
その様な多くの先輩にも私は恵まれた。先輩の為に仕えている訳でない、先輩は叱咤してくれる人、取り様では師匠と言える。一人の師匠で無く・・色んな個性・特徴のある、師匠に恵まれたと言う事・・・・
今日も後輩から、三つ上の先輩が亡くなったと言う連絡が有った。家族の希望で、この様な時、心使いを遠慮するという申し入れが有っているとの事・・・
離れた地だが、この地で縁の有る、先輩が居るので、連絡したら、ご存じだった・・・電話口で色々話して、何故か、元気と勇気が頂く事が出来た。
感謝に成る・・・・
私も、亡くなっても不思議でない、歳に成っているし、同じ様な疾患を持っている。
注意せろと言う、意味だと考えている。
私は、死んでも良い、この世に何の意味も生きると言う事で見出す事が出来なかった人間だったが、厳然と生かされている、生き残されていると感じている。
この時間を何に使うかが問われていると言う事にも成る。
各先輩が、視野を広げろ、お前はそこの留まる立場で無いと言う人が多いが・・・その意味が解らない・・・今の場でも負担に感じているのが現実である。これ以上の場等、想像すれば当然、怖いと成る。
勇気が無いと言われるのも仕方が無いと考えている。
0 件のコメント:
コメントを投稿