一世紀前・・・・世は、第一次世界大戦中に成る・・・・その時、流行った病は有名である。
スペイン風邪と言われ、猛威を世界に与えた。
100年後の現代、風邪の一種の新型コロナと言う病が、世界に猛威を与え・・・人が右往左往している。本来、リーダーは落ち着かせる方向を、示す責任が有るが・・・この病をチャンスと捉え、人が興味を持つ、方向に進ませる働きがする・・・世間で言う噂話等々と同じで、マスコミが扇動し続けた。
先い書いた、スペイン風邪・・・撲滅で来たか????・・・現代も続いている。
ただ、名が変わっただけである。現代ではインフルエンザと言われている。
要は、現代では、病は嫌だが・・・受け入れられていると言う事に成る。
しかし、インフルエンザで亡くなる人が居ないか????・・・年間、日本国で2000人ほどに成る・・・感染者の数は、病院等に行かない人も居るで、判断し難いが1000万人とも言われている。
風邪と言う病の不思議だが・・・一つの方向性が有る・・・・流行りと言う部分・・・
一部のウイルスが猛威を与えるが・・その間、他のウイルスは影を潜めると言う方向性・・・今回、新型コロナが話題に成っているが、毎年、話題に成る、インフルエンザと言う言葉を聞かなくなった。
当然、インフルエンザの予防接種とうも耳にしない・・・
風邪と言う症状の病で、新型コロナが・・牛耳っていると言っても良いし、そのウイルスも、変異し、新な方向に、移行し続けている。
感染症の問題が発生した当初・・・私は書いているが・・・新たな病が発生したら、基本、受け入れる覚悟が必要・・・勿論、撲滅できれば良いと思うが、若し出来ても、既存の風邪の症状の病で亡くなる人は、続く・・・・
今の若い人は、解らないと思うが・・・私が幼い頃、結核患者と言うだけで、世間の対応は今と違っていた。
私の父は、結核患者・・・当然、家族も白い目で見られるし、誰も側に寄ろうとしない・・・今話題の、新型コロナと同じ捉え方に成る。
この様な、取り扱たをされる、立場から見れば、当然、差別を多々感じているし・・若し恨みを持てば、何処に恨みを思いを果たすか???当然、社会と成る。
この様な、歴史は、過去から続いている。
今、結核患者と言っても、へ~~~程度で終わる・・・又、インフルエンザ(昔はスペイン風邪)も、へ~~~程度で済む・・・
同じ、様に、エイズと言う病・・・発見当初と、今とでは捉え方が大きく違うと、私は考えている。
人の噂も・・・・と言われる・・・話題性が無くなれば、へ~~~程度の終わる。
しかし、この話題が無ければ、マスコミは飯が食えない。
人々が関心する事柄を探し、それを煽って、話題を膨らませる。
要は、バブルと同じ・・・何時か、現実・真実が解る、その時はバルブの崩壊に成る。
政治かも大変だと思う・・・・この話題を無視に出来ない・・・民意と言う捉え方も有る。
しかし、勇気を持って、処置して頂きたい。
平時に戻す・・当然、時代と共い、変化が有るし、新たに受け入れていく部分も有る。
勿論、嫌な部分は、誰しも受け入れたくない・・・しかし、その勇気が必要で、行動が大事だと私は考えている。
その一つが、ワクチンの接種・・・何度も私は書いているが、感染しないと言う為のワクチンで無い。
病状の悪化を抑える程度であると、言う認識が必要に成る。
要は、感染しても、無症状の場合が増えると言う事・・・・危険な部分は、陽性者が自覚が無くて、キャリアーとして、病の運び手に成る可能性が高まると言う事・・・・
要は、感染者が普通に居る時代に向かっていると言う事・・・
若し、捉え方を逆に思っていると、何故と成る。
新型コロナが、一般の風邪・強く言ってインフルエンザ程度の認識に、向かわせていることに成るし、私の考えと一致している。
一旦、発生した病、撲滅が出来なければ、受け入れるしか方法は無い・・・
その為の、期間が、今回は長かったか???短かったかは????・・・後世の人の判断に成る。
若し、今回の問題は、マスコミの習性で起きたなら良い方と思うが、若し、国が後ろで糸を引いていたなら・・・今後、国と言う単位で論争が起きると思う。
問題を大きくして、その責任を負わせる・・・之も、国と言う単位だと有りえる。
過去の歴史を学ぶと、民衆の声と言うが・・大きな力が糸を引いていると言う事が多々ある。
簡単に言えば、民衆とは、無知で、扇動されやすい、権力者の下僕で有ると言う捉え方、価値観に成る。
私は、嫌いな価値観に成る・・・その為い、民衆、特に己は劣っていると思う人は、賢く成らなければ成らないと考えている。
劣っているが、賢い人・・・・
全てが、私が何時も、思っている、人は「生老病死」から逃れる事は出来ない、当然、それが解っているなら、覚悟が必要だし、それが必然・普通と思える、価値観が必要だと考えている。
例を挙げれば・・・私は体の部位を壊している。常時痛む・・・痛むと言う感覚に対して、捉え方に成る・・・生きているからと言う証拠と捉え、感謝できるか???・・・痛い、嫌だ・逃れたいと捉えているか????で違うと思う。
要は苦と言う部分は、己の捉え方に成る。
苦と捉えるなら、苦痛に成る・・・・痛みの捉え方に成る・・対義語は、快楽と成る・・・痛みが強く、死の覚悟が付けば・・・快楽に成るかもしれない。
この部分は、私も死ぬ時に感じると思う。
日本古来、切腹の介錯として首を撥ねると言う、事柄が有る。介錯が付くと言う事は良い事と成っている。その理由は、若しかすると、快楽が有るからかもしれない。
戦争で戦った人が、昔は、周りに多く居た・・・その際、言われた居た事だが、痛いと喚き散らす時は、未だ死なない・・・しかし、痛みを苦と思わなくなり、顔が笑みを浮かべる様に成ると、人は逝くと言われていた。
要は、苦と感じる間は、幸せと言う事・・・・環境に恵まれていると言う事・・・
私は、幸せで恵まれた、時代に生きている事に、感謝と成る。
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