長男から電話・・・・
グランプリーを取ったとの事・・・勿論、そのお手伝いをしただけだが・・・何かを勉強できたと思う・・・・
何かを得ていれば、人は体が軽いし、気分が良い・・・・
しかし、得ている事がマンネリに成り、当然に成れば・・・感謝の念が湧かなくなる。
同じ作業でも、この気持ち・心の持ち方で、キツサが変る・・・・
今回も可也のお客さんを、相手しる・・・普通なら疲れるし、之が仕事と、慣れが続けばマンネリに成り、キツイが頭の中に蔓延しだす・・・・・逆に馴れていないが、必死に取り組むと、何故か疲れが無い・・・・
この人の心の動きが、結果として、言葉の張りや、勢いに出て来る・・・電話の向うで、話している彼の姿がイメージ出来る・・・
現代子の為に、少しキツイだけで、機嫌が悪く成るし、もし、対価が悪ければ、益々、機嫌が悪くなる・・・若し、対価が良くても、翌日にはその対価が基準に成り、結果、その後はドンドン、機嫌が悪くなる。
私は、鈍感だが、この鈍感さが良いのかもしれない・・・何が????・・感性に成る・・・
感性が豊かといわれている現代・・・何が豊かは、解っていない人も多い・・・
この感性は、基本、動物的、部分も含む・・・・その為に、先に書いている様に、一旦得た物は今後も得られる之を当然と思い込む習性が有る。
全てが、現状より良い之を普通と考えている事に成る・・・・しかし、人は、成長と退化の両方を繰り返し生きている。最終的には退化が多く成り出す。
現状より良い方向を普通と考えるなら・・・退化や認められないし、其れを避ける事を考える。
しかし、現実に退化方向に成らない方法は無い・・・又、当然の事と成る・・・この当然の事を今度は不幸と思う方向性がでだす。
感性には、色んな意味が有る・・・良い意味での感性も有るが・・・この感と言う感じ方は、本来人間なら、学ぶ事で変わる部分・・・結局は論理的な、部分が有る人の感性と、其れが無く、動物的部分だけの感性とが有る・・・
結局は、何を学んだかで、感性も変わるという事に成る・・・
長男も、学んで欲しい・・・人の心の部分を・・・・本来、モット若い時に学ぶべき部分だが・・・遅くても学び続ける・・・私は、大事だと考えている。
彼の歳の時には、私は、一杯背中に背負っていたが・・・キツイと思う事も出来なかったし、走り回っていたが・・・・
思う様に成らない、だから、頑張るし、学ぶ・・・之をキツイと思うが、楽しいと思うかの感性の部分に成る・・・・
しかし、現代は、この様な部分に感性とは使わないが・・・感性で感じれる様に成って欲しいと私は願っている。
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