私は文筆より、言論派に属する人間・・・口で言った方が早いし、気持ちも含めの表現は言葉と思っていた。しかし、殆どのトラブルが発した言葉から始まる、言った・言って居ないと言う、相違でのトラブル・・・・以前も書いているが、同じ言葉で単語だが、言う人の立場、その時の雰囲気・・・声のトーン等・・・色々一つの単語でも伝えたい意味が有るが、それを確りと捉えてくれるかは言われた本人の捉え方だし、自己責任でどう吸収するかを考えれば良いが、それが出来ない時代になってきた。
例として、同じ野球選手で大谷には時には確り休めと監督が言った、大谷は頷くが、己の信念・思いで自業自得と言う覚悟が有り、有りがたい助言と捉えると思う。逆に正価が出せず、モンモンとして己に甘くサボり癖・遊び癖の付いた者に同助言を言えばよいのか、大谷にほどほどに休めと言っていて、他の選手に鞭打つ様なようなことを言えばパワーハラと取られられる危険性が孕んでいる。私が恐れているのはこの部分、何度か書いているが、人間も社会もグレー部分が有るし、其れが緩衝材となって機能している。その一番成功した国が日本国、この価値観が解らない人々に浸透しないそれなら日本を世界の標準的な価値観で染める方策に向っている。表現力豊かな言語を駆使し、色んな情緒等々も言葉の発し方で表現できる、文法の組立て方でも意味が変る。この様な言語を駆使している日本人をどう誘導し洗脳するか????この様に考えると世の中の今の本質が見える、企業は綺麗事を並べても金儲けの集団この儲けを増やすための管理職だし、謝金という関係性、その上には投資家の株主がいるが、この部分が利益・利益という方向に向っているし、その様で有れば開発・保守・メンテ等々の丘を生まず捨てているように見える部分は削られていく。この流れに若いときに気付いたので、この流れに乗らないように、変わり者、異端児、不平等主義や等々、自称している。私が一番嫌うのは、山の頂上を目指すのに、このルートが正しく正義と言う価値観・・・・人の数、個性も能力も違う、色んなルートが有って当然と思う、今のルートは、平坦で歩きやすい見通しが良く、風景も絶景が見られるルートだが、ほぼ全ての人がこの道に殺到・・・景色を見る余裕も無い、頂上も人の影で見えない・・・押され最悪の場合道から其れ、崖を落ちる事に、怖いから振り落とされないように必死にしがみ付く事に成り、全てが寄生虫状態、このれを宿主はどう使うか、己の奴隷としてる買うのか、大事な民だと捉えるのか・・・・その道を選んだ人の価値観と同じになるので、答えは解ると思う。要は、己良く・楽・利しか考えていない輩になる。この様なタイプは口頭では駄目・・・全て書面・契約書等の取り交わしが必用に成るし、当然、効用主側が優位になる方向の契約書に向うと思う。全てが契約社会、解り易いが、人間の情の部分が無くなっていくし、結果、恩という言葉も死語に向かう事に成る。今、訪日外億陣が多いのは、文化・歴史も大事だが、恩情・義理・人情から発する人々の言動で癒やされるという事での訪日客が増えている。日本の特徴、その部分を磨くのか、消滅させるのか、未来を托す人達になる。
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