最近、気付いた事だが、若い方向に向かって行くほど、人の話を聞かないと思っていたし、回りの同年代の人も感じてると言っていた。今回、ガズスタで車に満タン・・・何時もの様に、窓を開け、給油ポイントに走らせながら、満タン~~と叫ぶ・・・数度叫んで・・・待っていると、今度は窓が叩く若い店員さんが・・・燃料の補給量を尋ねてきた・・・私はハ~~~と成ったが、再度、満タンと意思表示・・・・ヤット理解したようで、給油を開始した。
私の息子も、末子は20歳・・・同じ要に、己から尋ねる・問い掛けたこと以外の人様の言葉等、雑音みたいに頭が処理しているようだ。
要は、本人が求める事以外、効く耳を持たないと言う、事に成るし、私が何度も書いている、事に通じることになる。
指摘も、中傷誹謗門全て、雑音として処理する・・・尋ね、聞きたいことだけは己から問うと、応えてもらい、その応えの中から、己の好む答えを探す様な感じのようだ・・・・この流れに成れば、少しでも気に食わない言葉は嘆け蹴られる位なら無視できるが・・・直球的な言葉には、ハラスメント的な捉え方をする可能性が高いのも頷ける。
要は、気に入る言葉以外、問い掛けることが出来ない・・・こんな若人が増えていることにアンる。
駄目だと、諭すように、耳の痛い事を言えば、当然、パワーハラだと捉えられてします。この様な人に成れば、回りが育てよう、後継者にと思っても、無理である・・・
当然、この様な人は、後継者の育成等も無関心になるし、少子化が加速するのは必然と言う事に成る。
要は、情報が多すぎる・・・色んな事を問い掛け続けられてる・・・結果、己が求めずとも、情報が耳に入る、それを己の好みで分類して、気に入ることだけを聞く・・・・他は、雑音として処理・・・
好きな事を求め、嫌いな事から離れる・・・此を当然、普通と捉えていることになる。動物なら解るし、当然、本能が支配しているので、生物としての責務は果たしている・・・・人間は、生物としての責務も放棄する事が出来る、頭脳を持ってる。その為に、正ししと思える理屈が必要に成る。それが、当然・普通の思っている理屈・・・・此が正しいとなれば、誰も、嫌いな事はしないし、嫌いという部分が皆一緒なら、その部分は誰が背負うのかとなる。当然、この価値観なら負け組だと勝手に思い込んでいるが、本人は人に優しい平等主義者と自称している。
不思議な事に成る。トラブルは無くなる、理由は、問題を放置し続けるという生き方・・・・己に感じる責務・トラブルが無い世界に成る。
此が、幸せな生き方なのか????私は疑問がるが、現代はこの方向のようだ、本当に幸せそうにしている人と縁した事がないが・・・私の回りだけなのかも知れない。
私は、耳の痛いことも、見せなければと思っている。当然有ることだが、ない事のように振舞っているこれ自体が、粉飾だし、その粉飾の処理は誰がするのか????
私は、三流で産まれて、劣った人間として育った、その為に、社会に大きな影響力を与える立場で無い・・・・簡単に書けば、どんなに迷惑を社会に与えようと思っても、元が小さいから問題として小さく成る。
しかし、虚栄を見せ、粉飾し飾り過ぎた、自称一流・優秀な人の後処理は、膨大な負を処理しなければ成らないように成る、当然、社会に全体にも大きな負担を与える事に成る。
老兵は去るだけ・・・この様に世を去りたいと考えているが・・・立つ鳥後を濁さずにも通じる・・・
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