私は、還暦までは、是が非でも、家族を守る・・・しかし、その後は難しく成ると家族に言い続けていた。
年齢的に、魅力が無くなる・・・自営業の私の場合、私自身の魅力が薄れると言う事・・・本来、50歳を超えると、この部分の不確実性が増えだす。要は、明日の命の保証が出来なくなると言う事・・・・要は、10年後は???と問われた場合、この世に健康体で又は健常者として居るかに不安が有ると言う事に成る。
この部分を家族に、折に触れ話していた。
何度が書くが、嫁を働きに出す、之を私は、認められなかった、理由は、己の力で養ってやると言う思いが強かったし、それが出来る年齢だと思っていたからに成る。
しかし、還暦を超えると、無理に成ると考えていた。
今、嫁を職場に送って行き・・・帰った後に、一軒の仕事の依頼を済ませ、家で洗濯物を干しながら・・・・予想通りに成ったな~~~~しかし、本心とは少し早まった感は有るが・・・
環境に応じて生きる・・・又その道を探す事が求めらていると思う。
環境は、常時変わっているのが普通だと私は考えている。要は、環境の変化に対応できると言うより、耐える事が出来る、この様な生き方が正しいと私は考えている。
環境も変わる、当然、己も変わっている・・・同じ昨日は無いと言う事・・・しかし、毎日が幸せでありたいとは望む・・・・
己も変わり、環境も変わる中で、幸せを感じられる、捉え方が必要だと思っている理由にも成る。
何度が書くが、今、生きている全ての人間は、略全ての人は100年後は居ないと言うのが、現実に成るし、私の予想に成る。当然、私は100%とこの世に存在しないと思う。
私の場合は、後片付けの期間が到来したと考えている。
私が生きた結果、当然、散らかしている部分が有る。この部分を片付ける事に成る。
稼ぎ続けて、この部分を放置し、去る事も出来ないと考えているので、還暦を一つの転換点と考えていた。
色んな、後片付け、後始末が有る。一つ一つ行動に移すことに成る。
之も三流だからと思う、己の事も真面に出来ないのに、人の為と動けば、当然、何かが犠牲に成っている。散らかし続けていると言う事・・・
今回、倉庫等の整理と物の処分を行いたいと考えている。当然、費用も必要だが、己の撒いた責任に成る。
後輩が手伝ってくれると言っているので、私に手を貸すと言う人が居ると言うだけで有難いと考えている。
本来、息子達と思うが、普通に日にしか、処分する場所が開いていない、結果、普通の日に時間が作れる人が必要に成る。
後輩が名乗り出たので感謝している。
私は「老兵は去るだけ」この言葉が好きだ・・・又「発つ鳥跡を濁さず」も好きな言葉に成る。
好きな言葉が有ると言う事は、それを実践しなければ、意味が無いと考えている。
今まで、大家族と言う特性上・・・多々の物が有る・・・要は、己が生きた証でも有るが・・・それを無くす方向に成る。
物を残すより、心を残したいと私は考えているので・・・物の処分が急がれていると考えているし、何十年分の物の処分、当然、時間が必要ともなる。
勿論、費用が必要に成るが、その分を持っているかも不安が有るが、続けるしかないと考えている。
今の状況は、200坪近い、敷地に物が散乱している状態、本人で有る私自身も、忘れ去った物で溢れている。
己が生きた証を、無くす・・・寂しいと思うが、之が寿命が有る、人間だから仕方が無い事だと考えている。
勿論、今後未来に託す為の、血の流れの継承は出来た、孫の顔も見る事が出来。今後、ひ孫の顔を見れるかもしれない・・・生物として、本望だと思うし、幸せだと考えている。
生物としての最低限の責任と義務は果たされたと思っている。
後片付けが完璧でなくても、この様な後継の者が居ると言うだけでも幸せだと思う。
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