私は、三流だし異端児・嫌われ者として、人の数には入らない立場・・・・それでも家族が有るし、地域が有る・・・責任と義務を感じながら生きている。
当然、力が無いので、申し訳ないと言う事柄が続くが、己の分で出来る範囲と、協力は惜しまない様にしているつもりでもある。
しかし、恵まれてる分が、人様からの期待・・・・嫌われ者なので、期待等が少ない・・・その為い、期待に応える、又応えきれず恥をかくと言う事は少ないと思うし、この部分が私の気を楽にさせている。
不思議だが、人は、期待に応えないと、裏切られたと感じたり・・損したと捉える人が多い事・・・
結果、私は、特に家族に対しては多大な期待をしない事にしている。
三流の親の子・・・期待しても裏切られる・・・「世の中で生きていられれば十分」と私は思っている。
要は、三流と言うのも肩書かも知れない・・・異端児も肩書に成るかもしれない・・・・
人様の利に成らない立場と言う、理解で有るので・・・些細な利を出せば、驚かれると言う事にも成る。
要は、人様の期待に対しての、責任と義務というものが存在すると言う事・・・
人様は、勝手に期待しているのか????・・・私は肩書等々で、判断していると考えている。
若し、期待を持たれたら、それに応える、責任と義務も発生している可能性が有ると言う事に成る。
しかし、不思議に、期待とは????己に都合が良い方向を期待する人の方が多いと思う。
現実に起きうる事、病に成る、老いる・死ぬ・・・之を期待しているとは何故か言わない。
人間と言う動物の、我儘・・己勝手な捉え方とも思う。
期待と書かず、利待と書いた方が、判り易いと思う。
本来は時を待つ・・・時を期と書いていると私は考えている。
その時が必ず来る、この必ずが、心待ちにする・・・心待ちと言って、良い方向だけで無いと私は考えている。
時が来れば、当然私も死ぬ・・・之も期待と思う。
何の時を待って居るのか????・・・それが各自で違う・・又、殆どの人は、己に都合が良い方向を考えていると言う事に成る。
この様な事が現実に成れば、期待に沿えずと成る。
勝手に期待している・・・当然、相手に対してに成る・・・この部分も、私は言葉の使い方が不思議だと考えている。
私は、先に書いた様に、期待される立場で無い・・・その為に、期待に応じる必要性も基本考えていない。
しかし、家長として、家族、家族が住む地域には、それなりに責任と義務を感じている程度に成る。
己が決めた部分に成る、人から与えられた責任と義務で無いと言う部分が、己の分で良いと言う事に成り、気が楽だと考えている。
肩書が悪いからの、気の楽さが有る。
若し肩書が良ければ、世間様の期待も、大きくなるし、若しかすると己の分を超えている可能性も有る。しかし、責任と義務を押し付けられ・・・出来なければ、問題・特に肩書が良過ぎると大問題と成る。
己は一流と思っている人は、その分の責任と義務も発生している。又、期待されている。
その期待に応えられなければ、現代は犯罪と向かっている感じさえする。
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