2020年7月1日水曜日

又、問題が・・・・

昨晩、母屋の方で、大もめに成った様だ・・・

原因は四男の嫁・・・・・何一つしない・・・我家に取ってになる。
炊事・洗濯等々の家事をしない・・・現代子らしいので大目に見ていたし、雨が続くので、私の嫁が、ランドリーに洗濯物の乾燥に行くが・・その際、私も手伝っていて、四男家族の洗濯も、嫁が行っている事は知っていた。

しかし、現代子・・・難しい・・・仮に、家事・・・仕事の含めて、下働きのゴミの分別等をさせると、苛め・・強制・・等々、捉える価値観を受け付けられている。

その為に、私の嫁は、若嫁に何も言わずに、家の事を、若嫁と孫が二人増えた部分を処理していた。

昨日・・・午後から仕事に出た私達夫婦が、居ない家から、友達を誘って、遊びに出ている。この部分までは、理解できる・・・しかし、赤子が荷物と考えたのか、里の母親に預けている・・・・若嫁に取っては、里の母親は下僕的立場なのかと思える。

貰い受けに行った私は、相手の両親・祖父母に対して・・・この部分は想像が出来たので、言っている。

要は、彼女に対して、叱咤できる立場が、両親・祖父母しか居ないと思ったからに成る。
それを、受け入れてくれたので、私は認めた。

しかし、私が知る、現代の女の子の親は、殆どが、友達それも、仲が良い、振舞いしかしない親が多い・・・その為に、娘は益々、付け上がり、我儘放題に成っている。

この流れが社会の風潮なら・・当然、行政等も、保護政策等で・・・離婚をした場合・・・本人だけなら当然、知らん振りできるが・・・子が居れば、保母の拡充に成る。

昔、書いているが、現代、手取り20万程なら・・・離婚して、母子家庭として生活した方が、楽に暮らせる、保護の拡充が有る。

勿論、20万の収入で、働き手のお小遣い無い前提に成る。
若し、夫が、趣味や趣向品等で4万も使えば、当然、母子加算等で生活した方が良いと成る。

若妻の、姉は離婚し、二人の子供を、育てているし、見掛けは遊んで暮らしている状態・・・里で暮らし・・・寝に帰るアパートが有ると言う生活・・・
生きる為に、必要な部分は、里が全て賄っている。しかし、生活の基盤を里にすると、保護政策から、漏れる・・・・その為に、別所帯と成る為に、寝る場所のアパートが有る状態だと私の予想では成る。

姉と言っても21歳・・・交友関係と遊び回っていて、子育ては差との親が行い・・・この様な姿を見ている、妹の、四男の嫁も・・・之が普通と言う感覚に成るし・・・私は、牢屋の様な、場所に何故、閉じ籠り・・・イライラするのか????原因は、当然、我家に成る。

指示が出来ない・・・部屋から出れば、少しは・・・・と提案程度しか出来ない状態・・・しかし、現代は提案でも、面倒な事を・・・・捉え、苛め・鬼の様な義父と思われていると思う。
私は、家事等々の部分は、言わない・・・ただ、少しは外に出て、孫と共に散歩したら~~~程度・・・・しかし、命令に聞こえていると思う。

現代は、マスコミ等々で、苛め等の問題で、捉え方の問題と私は考えているが、捉えた方がその様に感じたなら、その様な事をした方が悪いと成っているし、それが社会の常識の様になっている。

自己中心的価値観が、正しいと成れば、社会は公開に向かう・・・之が私の考えに成る。

その為に、以前は、私の様な馬鹿でも、触接・・叱咤・指摘等々受けていた、当然、言葉で、その為に、鈍感な私でも、改善方向が解った。

しかし、口で言えない時代に成り、相手の態度、眼付等々で、判断する、能力が必要に成った、些細な振舞いの違いで、己の問題部分を気付く能力が求められる・・・
私は、その様に捉えた為に、この部分も、教えて貰っている感謝と捉える。

しかし、今の現代は・・・この些細な振舞いの違いも、己に対して要求と捉えたら、苛め・パワーハラと捉えられても仕方が無いと言う、時代に成っている。

要は、社会人に成るまでの間に・・・・この部分の価値観をどの方向に創るかが、大事な部分に成っている。

人は死ぬまで、勉強と言われる・・・勉強する為に、当然、問題意識が必要だし、問題と捉えて、感覚が必要と成る。
昔は、バカでも解るように、口や時には肉体的に判る様に教えて頂けた。
しかし、現代は、何も教える方向に無いと言う事・・・・現代の教えは、文章で資料を出し、理解したか???の問に、〇か×で書く様になる。
当然、〇を書けば、理解した、指示できたと成る。

当然、本当に理解している人は居ない状態に成るが・・・仕方が無い社会とも言える。

要は全てが、受け手の方に有ると言う事・・・・受け手がどう捉えるか、それを強制・始動は出来ないと言う世界が、現代に成る。

私は、還暦に成るが、未だ半人前、学び手だと考えている。

しかし、現代は、幼少期にこの部分を学び、一人前に成って居なければ、その後は、誰も叱咤等々してくれない、孤独な世界に成ると言う事に成る。

要は、何度が書くが、友をどの様に捉えるかにも繋がる、私は、価値観が大きく違う人も友と思っている・・・違う方向性で私に指摘してくれる、友になる。
しかし、現代は、同じ価値観が友と思っているし、それを増やす方向性に成る・・・それを私は烏合の衆と言う・・・鵜が何匹いても、個として鵜が見えない・・違いが無いとこの様に成る・・・しかし、鵜同志は、小さな違い等々が判る、結果、その中で仲が悪い等々の部分が出て来る。

己の思い通りに成りたいと言う我欲が強い人には、この様な友を求め、お山の大将に成りたいと言う人が多い様に見える。

しかし、先に書いている様に、些細な違いで対立が起きる。

要は、多様の価値観を、容認できる、幅が必要と成る。
当然、三流の私には無い・・・・

要は、三流の我家に嫁いできた事が、問題と成る。
しかし、この部分は、相手様にも言っている。

歳も還暦に成り、力が衰えている家に・・・・と・・・私に出来る、余力が無いと言う事に成る。
余力が無い分、指摘も出来難く成るので・・・里の両親・祖父母からのご指導・ご鞭撻を強くお願いしているので、里の家に、私は任せている。

しかし、先に書いている様に、現代の娘を育てる、その中で、親や祖父母は、どう振舞っているか????ご指導・ご鞭撻が出来ても、聞く耳を持っているかに成る。

勿論、三流の私の、感覚に成る・・・一流で優秀な人が多い、社会、確り出来る、世の中だと、思っている。



0 件のコメント: