友の死に際し、与えられた時間を考えている。
彼も若者を、育てたし・・・それを私は見ている・・・しかし、遅くして、長男を儲けた為・・・長女は嫁いだが・・・長男は、学生さん・・・21歳・・・
私も中二の子供が最後に残っている・・・・・
我が子には教えたい事が多々有るが・・・何故か耳を傾けてくれない・・・
他人の大人の意見、之が大事に成るし、現実的に、我家には後輩当、色んな大人が、それなりに、私の子どもを見守ってくれている。
之も、親としての監督責任、能力の無さに繋がるが・・・・上の子供達が、悪さをしていた時代は、監視したくても、出来ない行動範囲だった・・・
結果、色んな友達、後輩に、頼み、見守る、見かけた時には、指導をしてもらう・・この手段しか私の場合方法が無かった。
結果、私以上に、子供達の事を、後輩が知っている、之が現在に成っている。
この時の、監視、見守る体制が無かったら、とんでもない悪い方向性に進んでいたと、今では、考えている。
今日も、残している長男に、逝った父の思いを、少しは語ってきた。
何が出来るか????・・・・・難しい・・・・・
残った責任とも感じる。
色んな、思いを子供に託している・・・それに気付かないから、他の人が、語る・・・・
語ることは、一種のスイッチの場合も有る・・・・親から託されている事を、気付くスイッチ・・・
この役目は誰がするか???・・・この部分さえ、最近は勇気を求められる。
何故か、悪い方向、人を唆せる方向は、簡単に出来て・・・・その逆の方向は、難しいし、勇気が要る、時代に成って来た。
之も、時代の流れで仕方が無い事なのか????何故、人を落とし入れる方向や、人の足を引張る方向へ、感心を向けるのか???
結局は、人を尊重すると口では言っているが、本心は人を罵りたい、馬鹿にしたいこの命が強い事に成る。
彼は、自分の知恵を、人に渡し続けた・・・凄い事だと私は考えている・・・最近は、知恵をお金い変える生き方をする人も多い・・・・何が良いかは、各自が選ぶこと。
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