昨晩・・・用を済ませ・・・帰宅・・・夕食・・・しかし、嫁曰く「貴方が出た後・・・誰々が来た・誰も来たと」予想もしない、人数に成り・・・夕食が全て無くなった・・・
結果、ご飯の、ふりかけで済ませる事に成った・・・・・この様な、事を、子供達は如何見ているかになる・・・
父の様な、夫の立場に成りたくないと、考えるか????
何故、努力するか・・・勉強も含め・・・理由は、良い立場を求めてと思う・・・・この良い立場は何か???・・・・この部分が最近の社会教育も含めて、一極に向っていると、思っているし、書き続けている・・・
テレビ・ドラマも最近は勝った・負けたこの、二極化を大きく表す表現が多い感じがする・・・
一神教的価値感に成っている感じがする・・・・・正義は勝つ・・・この勝つが強いというイメージを付ける・・・強い事は、スパーマン的な人と勝手に勘違いを起している・・・
その為に、格好よいと言うイメージも、強いスパーマン的、振舞いをすることだと思い込む人が何故か多いし、私の息子もこの特性が強い・・・
変な正義感が有るから・・・勝手に、敵(人)を固定して・・それに勝つ、之が正儀の証明等々、勘違いしている・・・
この勝つ事に、終始すれば、手段を選ばない方向に成るし、勝つ意味は相手に頭を下げさせるこの様な方向に成って行く・・・之が本来、人の傲慢な考えだと私は考えている・・・
人は個性が有るし、それも多様化している・・・この個性を一瞬で変化させる等、不可能と私は考えている・・・それを、その瞬間に勝った、負けたで、何が変化するか・・・何も変化していないと思うし、逆に、怨念が深まるだけ・・・
何故、傲慢か???・・・・自分の実力以上の、ものを求め、立場高いから当然と思っていれば、正義感が元に有っても・・・結局は、同じ横暴で傲慢と言う事に成る・・・
仮に各自のレベル以下の、現実が当然と思っていれば、殆どの問題が無くなる・・・
レベル以上の結果・報酬を求めるから、矛盾が出て来るし、人とのトラブルも増える・・・
又、人の問題と考えない・・・之も大事・・・・人に成れば、個人に成る・・・その個人も結局、社会の環境が創り上げた、商品のようなもの・・・問題は、その環境に有る・・・
環境が認めるから、又、求めているから、作られている事に成るし、それが人と考えれば、個人に対いての、強い、憎しみ等、出る事は無い・・・
先に書いた、テレビ・ドラマも・・・昔は、耐える・偲ぶ・・・堪える・・・この様なドラマも多々あったが、最近は、アメリカ的、キリスト教的、ドラマが増えている・・・
又、正義は、格好よく、強い、このイメージを誇張した、姿を作り出している・・・
之が進めば、正義感を持つことは、逆に、悪人にとっては扱い易い、馬鹿と言うことにもなる・・潰し易い、行動をするからになる・・・・之が続けば、正義感を持つ、抱く事は、損と言う、方向性の環境を作る出す・・・・
よく考える事に成る・・・法律に長ける、誰が・・・・・・基本、悪人ほど詳しい・・・・
ゴト師の様な人も世の中には多い・・・・又、守るべきものが少ない人が結局、強い事に成る・・・
それに対応するには、知恵が必要に成るし、守るべきものが多い人は、頭が低くなる・・・
何が趣旨か、之を、子供達には解ってもらいたい・・・・特に、世帯を持っていることは、家族を守る為の、自分と言う事の自覚に成る・・・・この守る部分を広げる、之が本来、男の器になる・・・
守る為に、力が要るが、この力が、腕力等で無いという意味・・・・・・この部分を親として教えていない、事が問題と思うし、反省する部分に成る・・・・家族として、どう家族を考えているか、守ってもらえる立場か、守って行く立場か・・・この部分も本来変化して行く筈だが・・・之が出来ていないために、馬鹿な息子に成って行く・・・
それを、子供達は、感じていないし・・・格好よさの価値観も変っていない・・・泥を噛みながら、這いつくばっても、前に進もうとする、この姿を、凄い事、格好よいと感じない、価値観が支配している・・・
簡単に書けば、男でなく、女々しいと成る・・・・
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