2025年2月6日木曜日

昨日の我家

 昨日、我家に一時間ほど居る事が出来た。感謝!!!

四男に会えたの良かったし、私の思いを結婚し巣立った彼に伝えることが出来た。「二度と失敗するな」「若嫁を死守し幸せに」言葉しか掛けることが、今の私の背一杯の事に成る。次男と義理の兄が向ってるが、私の外出時間が一時間のためにリハビリの先生と共に病院帰ることに成った。後は家を如何するのか????嫁と兄、二人の子供と介護プランナー等の人との打ち合わせが有るとの事。当然想定しているように連絡は無いので、状況確認にケアプランナーさんが会いに来られたが私に情報が無いので、直接 電話で確認される様にお願いした!!!今日は午前0時から向かいの人大声で騒ぎ出された。3時頃に静かに成られ7時過ぎから又始まった。今回は耳に強く残る表現、赤子が泣くような音程の起伏で「助けて」の連打」「痛い」連打「暑い連打を繰り返される。赤子が泣くトーンは人のみ身に付く様に出来ている。当然人なら耳に付くが、何かしてあげたいと捉えるのが人だし、赤子は泣く者の容認出来るはずで有るが、畜生以下・餓鬼道の人は煩い、黙れ、殺してしまえとなる。要は人のレベルなた、老いたり、病に成ったら、赤子方向に向う、勿論、発する言葉の数も経験値で変る、暴言のようだが。赤子の泣き声と捉えて、どの様に対処するかが各自の価値観になる。実子が泣く声で子を殺す親も居る。どの様な環境で育てられたか???此処に価値観の形成の基本が有る。私は過保護に育ったと思う、己の好みの音等有るが、人の発する音で、差別している、己の基準・捉え方で、勝って決めつける、典型的な差別主義者になる。

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