9時過ぎ・・・朝食を済ませた・・・
勿論、後片付けは行なうが、嫁が帰ってくる・・・「お腹が減った」が彼女の口癖・・・・何か料理を作ろうと、炊飯ジャーを開けたら、ご飯が無い・・・・私の朝食は、基本、作り置きのタッパ料理を少し食するだけ、新鮮なものでキャベツ等の千切りのパックを頂いている。
ご飯の事を忘れていた。息子達も今日までは公休のようなので、彼達の朝の準備も必要ない・・・又、嫁から、子供達の事は頭から消せとまで言われているので・・・・出来るだけ、考えないようにしているが・・・
嫁の食事の準備は、私のさがなのか????・・・・・・勝手に、炊飯を始めてしまっている。
帰って来たら、簡単に出来る、チャーハンでもと考え、その準備も整えた。
体調が悪いが、何故か、やらなければと言う思いが、私の体を動かす、若いときも同じだったが、己の事では、動かないし、己だけの人生なら死んだ方がマシだと、若い頃考えていた。
そんな時に、今の嫁と知り合った・・・体が弱く、子も産めないと言われていた。彼女・・・・何故か、俺が~~~と言う、思いが強くなり、何も手を付けることが出来なかったが、私が、積極的に色々挑戦し出すことになる。理由は、何故か、守りたいと言う思いが、私を駆り立てていた感じがする。
その流れで、結婚、直ぐに親の会社の倒産で、親を守らなければ、家を守らなければと言う思いが、不可能と思える力を私に出させたことになる。
結果、親の借金は返済でき・・・両親を看取り・・・私は子を諦めて結婚したが、五人の息子に恵まれた・・・今は、孫10人居る身になっている。
不思議だ、己の幸福等考えなく、突き進んだ結果が、この様に成った。
人様が喜ぶなら・・・此が私の幸福に繋がっていると、今は確信できる。
色んな問題が有るから、課題を克服するために、行動を起すことになる。
己の、為だと、如何しても甘えが出てくる。他人様だから、絶対にと言う思いも強く成る。それが不可能を可能にしているようだ・・・・
勿論、三流の身が思う、不可能・・・一流の人達なら容易い事だと思うが、各々のレベルで捉え方も違うのが、本来だと私は考えている。
平等と言うが、人を誓う、誓うという事は、捉え方も違ってくる。此が多々有る事が本来正常だが、今は、それを統一かの方向に向かっている。結果として、基準が出来、その上・下で、評価する様に成る。此を差別無き環境と思って、薦めてきたのが現代である。
違いを有るのを確り、認識した上で、道元如何するか????此が問われていると私は考えているが、全てが正しい、言葉・文字、と言う流れに向かっている。
誰に正しいのか????・・・私の場合、方言の方が耳障りが良く感じるが、それが差別と言うことになっているのが現代になる。
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