2023年3月13日月曜日

人権・平等を自称しているなら・・・

 私は差別主義者と自称している・・・この様な人は現代には私の周りには少ないと言うより、自称するまでの人は見たことも無い。

それ位、平等が一般化しているし、それが良いと誰しもが思っていると言う事に成る。しかし、何故、この様な人は、勝ち負け論を尊重し、敵味方論まで持ち出す。

勿論、世の中、弱い人強い人、各自レベルが有ると私は差別主義者なので有ると思っている。平等主義者が何故、この強い・弱い・・・敵・味方を創ろうとするのか???、この現実が私には解らない・・・

勿論、人権とも、大事だと当たり前の様に言われる。それなら、負け・弱い立場は、当然、勝ち・強い立場が守り・面倒を看る方向だと思うが、現実あh、逆に、負け・弱い立場は、強い立場の下僕・奴隷的に思っているかのような、言動が何故か見受けらっれる・・・・大きい題目は人権・平等と大声で言っているが、本性は逆の人達のように思えてしまう。

私が、何度も危惧しているのが、耳障りが良く、違うと言い難い、単語を駆使して、人を先導・誘導している。又、我々は論理的にと何を教えているか、勝ち負け論だし、敵味方論・・・・

要は、争いを何故か助長する方向と私は捉えているから、怖いと成る。

仮に、人権・平等と大きく、題目を言っている人たち、当然、己の周りで、負け組として、弱弱しく、良きれない人たちに対して、どう振る舞うか????言葉通りなら、安心できるが、言葉と180度違うなら怖いと言う事に成る。

以前も書いているが・・・共に生きている人、嫌いでも相互扶助が出て来る。勿論、私の様に人権も平等も時と場合と思う人は、違うと思うが。

嫌いで、敵でも面倒を観なければ成らない・・・これが共存と言う事に成る。共存でなく、敵・負け愚にもは死ね・死にたくないなら、下僕・奴隷と思えば、戦い争いも、意味を持つし、勝ち負け論・敵味方論を強く意識しても良いと思う。

人権・業同主義者なら、当然、この逆と成る。どんな人も共に生きる努力が大事、誰が努力するのか????当然、優秀で一流の方に成る。

劣って、弱い方は、力もないし、己だけの事で手一杯、個人主義だし、己い以外は敵と思っているので、無理である。

日本国を考えると、優秀で一流の人が多い国だと自称している。又、人権・平等と何時も口から吐いている。

当然、劣っている・弱い立場を、容認し、自立できるように手助けが出来るはずである。

又、この方向の方が本来、論理的だし、全体的に見えれ、一番、負が減る方向に成る。

仮に、勝った・優秀だと思い、成っても、負けた・劣った人たちも生きなければならない・・・世界を観れば、当然、難民として、裕福に見える国に押し寄せてくる。

綺麗ごとと、全て受け入れる事に成るが、現実は????・・・・要は、勝つ必要が無かったと言う事、勝ったから、前組を創り、結果として、その人たちも生きる為に、生きる場を変更する。

当然、優秀で一流の人なら、我が国、弱いし負け組だが、己の手でと思うが、愚民なら、当然、国も捨てる。最終的には家族も捨てるし、己の命も捨てる。

その為に、本来なら、馬鹿と言われる人が必要となる。穴に火が付いていても、慌てず、将来を見据えて、火傷も仕方ないと、先を見る、馬鹿も必要と言う事・・・・

解ってもらいたい・・・国内で、隣の人が負け組・弱いと成っても、我家には影響しない・・・何故か、動けるからに成る。目の前から消えられるから、影響が少ない・・・

しかし、国の場合、隣の国は永遠に隣の国、昔の様に、併合や占領が出来る時代でもない。

私は今まで、人の先導・誘導で生きている人たちは、単に楽だから、その生き方をしている。その為に、己の言動も、全て、良い結果なら己の力、悪い結果なら、先導・誘導した人達の責任と、己のポジションを守ろうとする、一番安易な方法だと私は考えている。

色んな、集団・組織等で、私は直ぐに異端児扱いを受ける。何故、矛盾だらけの方を人々は支持しているのか???一対一で話すと、思いは私に違いが、人様に見せている言動は違うと言う事に成る。

しかし、無意識に、体、命の仲間で、染まっていく・・・これが怖い・・・

よく、嘘つきは死ねと言う人も居る。現実に死んでくれれば問題も減る。しかし、人権や平等と言っている人間は言えない・・・嘘つきも誰かが受け入れ、共に生きる事に成る。

だから、私は人を創る、後継者を育成が大事だと考えている。一度、出来上がった、人は簡単に変わらない・・・・・

勝手に敵を決めつけ、なぜ敵かは後から、付け足す、勿論、良い話に成らない・・・・

異端児の私の場合、勝手な思い違いが他人に多し、その様に風潮されている。

失敗も間違いも、特に三流の私、当然、多いいと思う。しかし、失敗時代が人間でない様な風潮まである。特に私は、隠そうとしない為に、直ぐ勝手に捉えれれて、異端児扱い方向に向かう・・・・

これが言えるのも、馬鹿にする人・嫌いな人、全て私の大事は共に生きる人と私は考えている。勿論、私から近づこうとしないが、拒絶もしない・・・・近づこうとする人の現実には居ない、理由は、三流で劣っている、変わり者の、異端児で、差別主義者・当然、人権等も時と場合で違うと言う人間、中々、近づいてくる人が居ない。

要は、私は私の趣向も有るし、好みもある。当然、好き嫌いがある。しかし、嫌いからダメとは思わない、間違っているとも思わない、理由は自身の考えが間違っている可能性が有るからに成る。

しかし、逆に己が優秀で一流と言う人は、己の趣向と違うと、攻める傾向が見受けられる・・・仮に貴方の考えが正しい、結果、相手は負け・苦しんでいる。誰が手を貸すのか???この部分まで発想していない。

要は、勝ったなら、責務が発生する、負け組を如何するか????現代の価値観なら、保護しなければ成らない・・・その余力が勝ち側に有るか???無ければ、戦う事を避けた方が良いと私は考えている。



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