何時もの事だが・・・・外で暮らす・・・息子の一人が、セビリに来た。
理由は、色々言うが・・・己の嫁に言えない理由とは言わなくても解る部分・・・要は嫁にも見栄を張って、格好を付けていると言う事・・・汚い言葉で言えば、猫を被っていると言う事にも成る。
この様な振舞をしないと、一家が丸く収まらないと言う、一家にしている、その家の家長が悪いと思うし、それは息子に成る。
猫を被らず、有りの儘の振舞い、姿を見せる事が出来る、数少ない人が、母親と言う事にも成る。
息子達に、父親として、何時も説明、教えているが・・・家を出て、一国一城の主に成ると言う事は・・・社会で礼にすれば、会社を興したと言う事に成る。
勿論、借家で最初は一人だが・・・それでも会社と言う事・・・・
会社としての、社会に対して責任と義務が発生することに成る。
要は、個人としては責任も義務も感じない部分も、会社と成れば、感じ出すと言う事に成る。何故、会社に例えるかと言えば、私の妹が居た為・・・何故、私個人がと言う考えが直ぐに出る、特にそれが最初に出て来る。その為に、家と言う表現より、会社と言う表現の方が判り易い為に成る。
私は、未だに、家の代表として参加する場合、父の名前で、表記する・・それにプラスして新たに、個人として己を表記する場合も有る。要は、二つの香典等を、すると言う事・・・之を説明する為に、家と言う理由だと解らない為に、会社として表すと、妹も認めたくないと思うが、認めざるおえなくなる。
己の会社の誰かが亡くなった・・・当然、個人といて良い・・・
しかし、取引会社・又は親会社の社長が亡くなった。当然、己の会社内でお立場に応じるが・・・会社としての香典・・・個の繋がりとしての香典と、色々出て来る。
之を、息子達にも説明している、家を出たと言う事は、一国一城の主・・主としての責任と義務が発生する。
しかし、血縁等々、会社に例えると、親会社等々に成るが・・・何処までが???と成る・・・血縁の家と言う考えでは、我が地域では、四親等までと成っている。
それ以上で、初めて、個々の考えに成る。
要は、四親等までは、仁義をする事が、当然と言う考え成る。
本来、人とはこの様な事だが・・・現代は、人は物的に捉える人が多い、逆に会社・・・勿論、会社も法人格を持っている場合も有る、法人格と言う事は、人格が有ると言う事にも成る。
要は、会社も人として見る、考えると言う事・・・この部分では、解っているが、現実の人に成ると、己の好き嫌い等々で、決めている部分が多い・・・
仮に、儲けられない会社と取引している、要は、仕事をしても利益が出ない・・・しかし、その会社の社長が亡くなれば、専務が亡くなれば、部長が亡くなればと考えれば、損しているので、香典を出さないと成るか????
勿論、お金も無い、若しかすると、借金して香典を出すことに成るが・・・それでも香典の準備はすると思う。若し、之が会社の部分が無い、タダの人と成ると???
要は、一国一城の主と言う事は、己の好み・己の経済力等々に関係なく、するべき義務と責任が発生しだすと言う事・・・当然、家族が増えれば、義務も責任も、二乗で増えだすと言う事にも成る。
その為に、昔は、一匹オオカミ状態の、一国一城の主より・・・・妻子が居る一国一城の主の方が、信用が高かった・・・勿論、プラスして家族が居れば、益々、信用が高まると言う事、その高まり度は、二乗に成ると言う事に成る。
しあし、その分の義務と責任を果たさなければ、二乗で信用も無くなると言う事にも成る。
この部分も会社と言う形で、見て、考えれば、理解できると思う。
会社の規模で、信用が高まる・・・しかし、義務と責任も当然、増えてるし二乗に成る。その為に、少しでも反する部分が有ると、二乗と言うより、アッと言う間に、ブラック企業と言われることに成る。しかし、それでも商売が続けられると言う事は、信用も高いと言う事にも成る。
家も同じである・・直ぐい否定的な評価がされるが・・・維持し家を守り続ける事が出来ると言う事は、揺るがらない信用が有ると言う事・・・その為にも、最低限の仁義が必要と言う事にも成るし、出来る時は、必ず行う必要性が有ると言う事にも成る。
最後まで、一番、己に必要な人には、信用して頂きたいと言うの思いが有るなら、当然、振舞いも大事に成る・・・逝った母が言っていたが、仁義は借ってでもせろ!!・・これを私は守っている。
その努力を、近い人、己が大事に思っている人には、届いていると言う事にも成る。
後々、己の支えに成ってくれる可能性が有ると言う事にも成る。
今、世界は、経済的困難が続いている。その為に、色んな負の部分を先送りにしているので、今は保たれている・・・しかし、それを解消する時が近づいてきた。
当然、己だけでは、解消できないと成ると思う・・・支えが必要に成る時が来る・・・支えが居るか居ないかで、大きく変わって来ると私は考えている。
それも、今まで仁義を尽くしてきたかの違いに成って行くと私は考えている。
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