2021年6月4日金曜日

生物として人間として、責任と義務を放棄する方向が??????

 昨日のブログに書いたが・・・

最近の優秀・一流と言う立場は・・・私の目から見ると生物として人間としての責任と義務を放棄・又は考えない・・・この様なタイプが目指す立場と見える。

当然、何度も書くが、人間は心配も間違いも起こす、この部分も認めない、特に他人にと言うタイプに見える。

最近、色んな事で、最終的には、私は自己責任・自業自得と考えているが・・・之が通用しな世界に向かっている様な報道等が多い、

要は誰が責任を取るのか???となる。

私は何度も書くが、事を起こす・・当然、利も負も起きる・・・・しかし、現代は負を認めないし、負を得たと感じたら、誰が責任を取るのかと言う、論争に成る。

仮に、お腹が痛い・・・病院に向かった・・しかし、途中・事故に遭遇、結果、事故死に成った。

この場合は、目的は痛みを軽減させるために、病院を選び、そこに向かう・・・しかし、事故・・・・事故が問題で、病院に向かったと言う思いは、問題に成らない・・・

以前も書いているが・・・交通安全の為に、神社に向かって、お札を頂こうと思ったが、向かう途中、事故で死亡等の話は、昔からよく聞く話である。

交通安全を謳っている神社が有る事が原因とは成らない・・・・

若し、命が大事と余りにも強調し過ぎると、最終的に自閉症と言う方向に向かう。

部屋から出れば、何が起きるか判らない・・・当然、病を貰う可能性もある。

本来、生きるとは、己の命をどう使うかに成る。

この部分は各々の考え方、価値観に成ると私は考えている。

その為に、一極に之が正しいとは思わない。

スポーツと言うジャンルは、危険が孕む・・・見る側も当然、危険性が有る。

それを出来るだけ、軽減させるためには、多くの下働きをした人達の経験が意味を持つ。

人が動くと言う事で、何が起きるか????・・・之をよく熟知している人達が必要と言う事、当然、何の為か、スポーツを開催する為と言う目的に成る。

若し、危険性を余りに、重視し過ぎると、結果、そのスポーツは発展しない。

日本国でモータースポーツが発展しない理由に、私は、問題・負に対しての捉え方が、底辺に有るからだと考えている。

負を潰そうとする考え方と、負を受け入れようとする考え方が有る・・

当然、日本国は、差別主義者の私の様な人は少ない国・・・己の好みでない事も、大きな器で、許容できると思っているが、現実は???????

些細な負に対して、大きく捉えすぎる人が大きい事に驚くし、そこ迄、考えているなら、受け入れて処理を頑張ろうと成ると思うが、逆に、問題が発生と同時に、責任転換等々で、逃げようとする。この様な人が、平等主義者と言われている様にも感じる。

私が、何か事を起こす、当然、自業自得と言う事に成る。




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