2021年3月10日水曜日

己の好み・興味を言えない・・一流とは不幸に見える。

 マスコミで、英国王室の差別の問題を報道している。

私の周りには、好みによる、又は興味による・・区別は存在している。

区別と私は捉えている。その人の思いで、力を感じない捉え方が私は出来る。

嫁の母・・・昔、子が生まれ都度に、肌の色・様相等々、義母の好みを私の耳に入る様に言っていた。

私は笑って聞いていたし、生まれる瞬間に成ると、母子共に無事に産室から出て来てくれと思いが義母も変わっていた。

要は、余裕が有ると、己の好み・興味を簡単に言える。

しかし、余裕が無く成ると、最後は命だけはと成る。庶民の母だし、三流の私だから、一瞬・一瞬で、考え方・思いも変化する・・・之が人間と思うし、感情の動物とも言われる、感情でも考えが変わったりすると言う事にも成る。

この感情を上手に操る、これを扇動や・誘導で使うのが・・独裁者的、己は神だと言う、人間に多い行動にも成る。

結局は、一流と言う立場が、己で己の首を絞める、方向へ向かっていると言う事・・・

この立場が風潮し扇動した、奇麗ごとで、己の首を絞める。

仮に、犬のブリーダーをしている・・・同じ犬種をかけ合わせれば当然、同じ犬種が生まれると思っているし、期待している。

同じ事で、違う犬種をかけ合わせたら・・・どんな犬が生まれるか????・・・興味を持ち、それを周りに言う等々は、当たり前だと私は考えている。

動物だと許され、人間だと許されない・・・厳密に言えば、これも差別に成る。

犬を飼う・・・己が好む、犬種を飼う・・・之も差別に成る・・・この方向に向かっていると言う事・・・多くの人に好まれる犬種は、当然、価格が高い・・・誰も見向きもされない犬種は、最悪、殺処分と成る。之も、仕方が無い、経済原理と思うなら、人間もこの流れに向かう事に成る。

私は、何度も書いて居るが、村はちぶ的扱いも受けた、幼少期が有る。しかし、差別とは思っていない。要は、我家、父の振舞いが、結果として、この様に成った。自業自得と考えている。勿論、父が悪いとも考えてない、昔はその様に思っていたが・・今は違う・・父は父の思いを具現化したいと振舞っただけ、人として理想とする方向を目指す、これも当然の振舞いだと考える、要は、各自の捉え方が、結果として振舞いに繋がった・・・

人は、感情の動物・・・感情が問題と思う様に成った・・・何が問題か???・・客観的に考える、第三者の目と耳を、己の中に創る事だと私は思っている。

三流の為に、直ぐに感情が優先する・・・しかし、この感情の判断、良い場合も有るし、悪い場合も有る。

私は、三流の為に、人の為と感情が囁いても、その力が無いと、直ぐに逃げる・・・しかし、逆の方向、己が危機・不利に成る感じたら、直ぐに行動に移すし、その時は、後先も考えていない。要は、考えられる時間的余裕が、無い場合、どうしても、感情で動くと言う事・・・

その為に、この様な、私の取って、不利・危機と思う様な方向の、日頃からの訓練が必要と言う事、要は、好んで、この部分に、接する努力が必要と言う事にも成る。

要は、三流なので、いざと言う時の、イメージ・対処法を考える余裕が頭に無い・・結果、夢の様な己の思う、理想郷をイメージし、其処を目指そうとしている。

要は、現実を知らない、馬鹿、三流以下だとも思えるレベルに成る。

せめて、三流なら、少なくとも、目を背けたいと思う方向に、己を向わせる必要が有ると考えている。

要は、イメージが出来ないなら、己の身で感じるしか、方法が無いと言うのが、私の考えに成る。

私は三流なので、当然、楽で簡単、この方向を目指してしまう特徴が有る。

その逆を目指す事に成る。この時点でも、差別が起きている、己の好みが優先されているし、それで振舞っている事にも成る。

私は己を差別主義者と自称しているのは、私は、楽が好きだし、この楽な世界に居たいと思うタイプ・・・しかし、之が差別主義者の私の本質と解れば、これを間然する為には、己が、嫌いや、方向に進んでみて、経験するしか、知ることが出来ないと言う事にも成る。

動物と違う部分が、人には有ると信じている。

この部分を磨くしか、人としての存在意義が無い・・・・

特に男、ババ抜きでババを引く之を願える、男気を持ちたいと考えている。勿論、最近はこの様な価値観を持つ、事自体が、馬鹿と成っている。

しかし、女性化の波が強く成っている、奇麗ごと・・・この方向が正しい、甘い水が美味いし、その方向に向かうのが当然と言う、虫の蟻と同じ価値観に、人間も向かっている。

勿論、対比に成るし、人様との関係性で、己が、奇麗に見せる事が出来る、これが正しい道だと思い込む・・・差別主義者の私は、女らしい価値観だと思うし・・・

母も言っていたが・・女は愛等々で、男を選んでいない・・・・勿論、愛も有るとは思うが、現実は、違う・・・・愛を求めるなら、最低限の、部分を相手に求めている。

その最低限の部分が、奇麗ごとの台頭で、上がり続けている。

愛さえ、相手を選ぶ・・・差別と言う事に成る。

要は、選ぶ人に、何を選んでいるか????・・・・全ての人なのか????・・・当然、好みが反映している。

要は、生類選考まで、到達できないで、己で辞退する人も増えていると言う事・・・之が差別だと私は考えている。

要は、権力側、一流が 己の思う方向に向けている。当然、奇麗ごとでに成る・・・

人を選べる立場と言う事・・・当然、全てを選んでいるなら良いが・・・限定している勿論それは言わない・・・・

以前、我市の指名願い届け入れが有った・・・市民で税金を納めている、事業者全てが、届け入れが出来ると成っていたが・・・・窓口で・・知り合いの区長・市議会議員・市役所職員の名を、聞かれた・・・私は????に成り、大騒動に成った。

知合いの、市役所職員と、市会議員が私の手を引いて、外に出して、少しは大人になってくれと言われた事を思い出す。その後、市のこの様な募集には応募していない。

知合いは居る、それを何故、言わなければ、窓口を通れないのか????・・・市報等に書いてある内容と違う・・・・

要は、一派に言われる、権力者との繋がりが無ければ、通さないと言う・・・・国堺の番所と同じ・・・・

結局は、この様なシステムが、権力側を創り出している。

私は、同じ目線で、議員の見ているし、当然、仕事等の違いで、目線を変えたくない。

呆れるような、現実が未だに有る。

私は、嫌われ者として生きて、社会が、どう振舞うか????試している。今、生きていると言う事は、感謝に成るし、社会の許容力も有と思っている。

しかし、この部分が、縮小方向に向かっている感じがする。その方向に、平等等が使われている。

嫌われ者を目指すなら、己だけと限定する。集団を組まない、集団に成れば、それが力と成る為に私は好きでない。

力が無い状態で、社会の中で生きれるか???実験とも言える。




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