2018年3月2日金曜日

操作の基本・・・

今、テック・コンバで操作の基本を再度、学び勉強を進めている。

何度が書いているが、私が最初に、操作した、RCカーは、大昔のGpバギー・・・・

Uコン飛行機用のエンジンに・・・スロットル操作が出来る、キャブを取り付け・・・・プロポで制御が出来る・・・

勿論、制度と言う部分では全てがアバウト・・・パワーが伝わるか・・・遠心クラッチが切れてOFFかの二極的操作・・・勿論、それにブレーキ操作が加わるが・・・

ステア機構は、アスワルト路面で静止状態だと、トルクを伝えるピアノ線がタワミ・・舵角表現が出来ない・・・この様な車だったが・・・・

フラットダートを走らせる、ドリフト状態で、奇麗な浅いカウンターで走り抜ける・・・・之が操作の快感に成っていたし・・・成功の確率も低かった。

広大に場所で遊ぶ・・・・この環境だから出来ていた事だと思う・・・

しかし、コースが出来、其れも広さの問題も出て来る・・・ステアの応答性、特に無理に曲げるこの部分が必要に成ってから・・・・RCカーの特徴が、実車から遠のく、挙動に成って行った、感じが私はします。

人の欲、早く、正確・・失敗しないこの部分に注視した結果が今のシャーシだと考えています。

その当時のGpカー・・・パワーが有る様に思われるが・・・今の電動RCカーの方が、パワーは有ると私は考えている。

遠心クラッチの性能が悪く・・・又シャーシ自体が今の次元で考えれば、重過ぎる・・・・・結果、トルクは上手に消されていたと今だと考えている。


私の最初の、体験がこの様な車で得た、操作技量が今に繋がっている。

今、この当時の、車の挙動が、私の感覚だと実車に近い・・・この思いが有るので、テック・コンバで試している。

ステアは、グラフラ・・・・プロポ操作での舵角表現が出来難い・・・

パワー源も遠心クラッチが滑る、反クラ・・・この感覚を電動RCカーで表現できないか??等々を、今のシャーシで考え、進めている。


RCドリフトの世界で、耳に入る、挙動や操作は全て、実車でRCの特性・と大きく違う事を言われている。
この部分のRCは、電動RCツーリングカーを基準にした場合・・・

ツーリングカーは安定して、速く・失敗も少なく、走り続ける・・・之を外部操作のプロポ操作で可能にするセット、車作りに成っている。

この部分を、無くす、方向性が、結果として、RCドリフターが言われている表現に近付くので無いか??と私は、進めてきた。

特にアクセルを抜く方向、この部分は遠心クラッチのGpカーが、実車ポイ・・・・・

何度も書いているが、電動RCカーのアクセルを抜く方向での車の挙動は、急ブレーキを状態に見える。
勿論、各自の実車感の違いが有ると思うが・・・・

ドリフトだけと限定すれば、無駄カキをしていれば、アクセルの抜く方向でも回転下がり等のタイムラグが稼げるので、転がり感を得る事が出来る。・・この部分は、RCだから出来る部分にも成る。

最近、コースで皆に・・・今のスピードは実車だと100km/h・・・・どの程度転がるか??又、このスピード域から、フルブレーキをかけたら、どの程度で止まるか????・・・

若し、30mで止まれば・・・RCだと3mに成る・・・・勿論、各自で目標にしている実車も色々有る。

戦車と言う人も居ると思うし・・・市販車と言う人も居る・・・・市販車も色々有るが、軽自動車とスポーツカーでも殆ど変らないと私は考えているが・・・・この部分が、RCカーを色々操作すると、色んな個性が有る。

若し、このアクセルを抜く、この操作で、実車でも考えられない位の急ブレーキがシャーシで起きていると成れば・・・グリップ走行が出来ない、之が当然と成る・・・・・基本、駆動輪を滑らせ続ける、この様な操作が基本に成る・・・

この基本を何処に置くかが・・・・RCドリフトの取り組み最初の、分岐点になる。
勿論、各自の目指す、目標でも変わる部分に成る。

若し、環境に先ずは溶け込む・・・この日本人的、性格の人は、環境が非常に大事に成る。

理由は解る筈・・・・

私は、無知で何も知らない・・・しかし、少しは解る部分が有る・・・・色んな言葉の表現で、言われている人にも、其れを見せてとお願いすれば、良いし、その時、気付いた矛盾を率直に聞けるのも、無知だから出来る部分・・・

又、技量が無いと自分の分を知っていれば、大きい事より・・・・小さな事の操作をお願いする、之も当然と思う・・・定常円が上手に出来ない・・・180度ターンが上手に出来ていないと成れば・・・
当然、学びたいと、凄い表現をされている人に、お願いして、見せて頂く・・・・之が上達の道だと私は考えているが・・・・

何故か行なっていただけないし、逆にグリップ走行や定常円、180度ターンはドリフトで無いと言われる人まで出て来る。

勿論、ドリフトとは私は思わないが・・・この様な基本が有るから、その後の部分が有る筈だし、言葉の表現では、この様な部分を克復している様に聞える。

基本、殆どが無視されるのだが、中には、最後にRCはRCだからと言われる人も多い・・・

この部分が有るのなら、何故、色んな取り組み、拘りを、認めないのか???・・・又、技量的にも色んなレベルが有るし、コースに伺う目的も色々、之も何故認めないのか???

スタイルと言う、一つの形に対しての、一神教敵、信仰に成っている感じがする。

この一神教の優劣争い・・・・イスラムとキリスト・ユダヤ等の争いと似ている。

元は同じ、基点から発しているが・・・・方向性が変った、之で争いが始まる。

人とは、複数に成ると、この傾向が出て来る。

私は、基本独りが良いと考えるのも、この様な人の本質が有るから・・・
仕方が無い部分・・・しかし、其れを見抜く目が必要にも成る。

この部分が無いから、結果的に感謝の念が出ない・・・・・・・

私は異端だと自覚が有るし、変り者と思っている・・・だから、絡んで頂ける、又、受け入れて頂く、之も感謝に成る。

この部分が無ければ、自分の思う通りの環境を求めだすし、その度合いも強く成って行く・・・・・・環境まで、自分の思う通りにしなければ之が目的に成る。

人は独裁者に成る、素質が全ての人に有ると言う事・・・・

この本性をどうすれば、抑える事が出来るか???・・・・・之も各自で違う事に成る。

結局は、この世に、負と得が有れば、プラス・マイナス・・・0状態が必要だし、出きれば、プラスに出きればとも思うが、先ずは、マイナス部分を誰が背負うか、之が、求められる・・・

この様な人材を、社会が放出しているかが、未来の姿になる。

現代は、その部分を見せない・誤魔化す、帳尻合わせ、之で事を進めている。
理由は感単・・・負を背負う人が育ってい無いと言う事になる。




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