子供の頃から、色々経験できたし、色んな人の生き方を視てきた。スキール・スペック重視の勝ち負け論で、生きる人は、勝ち続ける事は不可能で有る。何時か負ける事が有る。その時の対処影響力がその人の生き方に繋がっている。商売人も100人中・・・半分以上が20年程で無くなり、その後行方不明という事も有る。私の目から見れば世間の状況と比べると、分相応以上の振舞を行っておられた。儲かっていると思える物を多々買い込まれる。見栄を張らないと信用を得ないと思われているし、信頼も得れないと思われている。私は、分相応で商売を始めた、自宅の電話を仕事で使って、FAXは兼用・・・当然事務所も持たない、その為に、信販会社からの信用が無く、リースやローンの書類も頂けない、八方塞がりの状態で始めたが、見栄を張る気は無かった。理由は商売も人の「生老病死」が有る、それが早いか遅いかの差になる。無理すれば続ける事は可能だが、負債が増え続ける。この部分は誰が背負うのか、老いた両親なのか、若いその息子なのか???これが嫌だから逃げると言う方策をとる人が多い・・・当然一家で逃げる。最近、このようなお客さんも増え続けている。大事なお客、心配をしているが、どうにもならない。私には、最低でも責務が、有る。里のお袋を看取ること、伯母と下の叔母の二人を看取ること、この一族に生を受けた当然の責務だと思って居る。私は恵まれている。叔母・伯父は妻帯者だし、子供も居る。責務も軽いという事に成る。音信不通でも、問題が有れば行政の方から連絡が来る。どう対処するのかと????現代なら、他人のように知らないと簡単に言える人が多いと思うが、この流れ場、結果として、国の財政を食い尽くしている。この様な事を行っていて、見栄を張っている人も多々居る。此が世間でも有るが。その様な人は、最終的に淘汰される。若いときに人が羨むソアラに乗っていた。天狗になっていた。結果として、父の会社は倒産・・・この様に考えているので、父の負債は己が背負うと言う感覚に成っている。要は分以上の言動を行った報いで有る。だから何度も書くように、分以下で生きる事を推奨している。当然優秀な消費者に成らない数値的に国の経済力を上げる方向に成らない、しかし、無理も生きていない。個々に見栄を張らせ、借金で生きていく、良いとは思わないし、その様な方向を目指すほは人として間違いと思う。人間の寿命は有限的で有る。
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