2020年12月12日土曜日

最近・・・法事等が減少・・・

コロナの影響で・・・法事等の行事も現象方向である。

冠婚葬祭等々が減る方向で有ったが・・・・今回の感染症で域に減っている様だ・・・・

恩有る人、縁ある人が亡くなる・・・恩を返し切っていない私の場合、最低でも見送りだけは参列したいと考えている。

又、参列する事で、色んな事を学べるし、私の今後の糧や財産にも成っている。

しかし、知らない、情報が入らない・・・この部分が、悲しいと私は感じている。

勿論、参列できな時も有る・・・しかし、知れば、思いを祈りに乗せる事は出来る。この部分は何処でも出来るし、何かをしながら等々の、ながらでも出来る。

貧乏で金欠の私の場合、これ位しか出来ない事も多々増えている。

本来、堂々と参列する・・・恩への報いと思うが・・・・己の分の無さ又、力の無さの現実に申し訳なささえ感じている。

毎年、法事等は、三流で嫌われ者の私でも、10件を超える・・・しかし、お祝い事は減り続けている。

この部分も、私が危惧する部分・・・亡くなる事は必然だが、それと同等か多くのお祝い事等が有れば、欲深い私の場合、バランスが取れていると感じるが・・・・法事等が多い事が心配と言う事にも成る。

我家は、予定として来年、新たな命・孫が二人生まれる・・・お祝い事である・・・しかし、それ以上に、亡くなる・・生有るものの終焉に成るが・・・・これが多いと言う事は、末広がりの方向とは思わない・・・・

この様な部分を、感じるから、危惧として色々考える事に成る。

勿論、悩みにも成るし、この悩みを不幸と思うなら、この部分も考えないでよい環境を目指す事に成るが・・・・私は、悩みは己の成長の糧だと考えているので、現実からの逃避だけは避けたいと考えている。

中には、この様な話をすると、暗く為る等々で嫌う人も多い・・・暗く為ると言う事は、考えを持っているし、考える必要性が有るとは解っているが・・・それを避けたい、逃避したいと言う命が強いと言う事にも成る。

本来、全く興味が無ければ、若者が言う、「別に~~~」程度の捉え方でよい・・・・しかし、心が動くと言う事は、意識が有ると言う事に成る。

又、この様な事を考えても、結果は決まっていると言われる人も居る。之が意味する事は「生老病死」は厳然と有るし、その存在も確り認識しているが・・・それでも考えたく無いと言う、思いが何故か有ると言う事だし、その様に思考回路を作る、教育や環境が有ると言う事にも成る。

要は、四苦は逃げる事が出来ないと言う覚悟が有るが・・・・四苦より些細な苦に七転八倒をしている事に成る・・・・

四苦を覚悟できていて、何故、些細な苦で、苦しみ藻掻くのか????・・・不思議だと私は考えている。

最近、若者の自殺が増えている様に感じる。

悩みが有って、その答えが死と成った為と思う。

勿論、各々、事柄の捉え方が違う・・・その為に、事柄に対しての悩みの深さも各自で違う・・・・しかし、事柄の捉え方の勉強・特に色々あると言う部分の教育が今は無い・・・悪いと一括りで決める方向性が有る。

差別主知者の私は、当然、全てに順位が有る。悩みさえ、順位を決めている。

己の順位で、一番上に当たる悩み・・・当然「生老病死」に成る。

若い時、之を考え・悩み・・・死ぬ為に生きるなら、今、死んでも同じと考えていた時期が有る。

要は、死んでも構わないと言う思いで、色々行っていたが、本当に死を感じた時、何故か生きたいと最善の方法を頭が考えている事を感じた。

死んでも良いと思っていても、人は、生きたいと言う本能が有ると言う事に成る。勿論私だけの特徴かもしれないが・・・・

結果・・・生き残っている・・・当然、死にたく無いと言う本能が最善策を求め、選んだからだと私は考えている。

不思議だ、生きたい・生きるなら楽に・・この様な妄想に取りつかれている人は、簡単に死んでしまう。

生きて居ても、思う様に成らない、苦労を何故か背負ってしまう。この様な生き方は損と思い・・・それで思考が終わるなら、怖いが・・・之が何かの世の為に成っていると考えれば、キツイ事も何故か容認できる事に成る。


何度も書くが、事柄の捉え方・・・之が生きる事で学び、又大事な部分に成る。

しかし、捉え方を標準化する流れも存在する。若し、この基準で、今の現状を考えれば、損・不幸と成る場合が増えている。

要は、捉え方次第で、心の安穏が決まると言う事に成る。

又、危惧も出て来る・・・危惧が有れば、当然、その対応・改善が己の使命と成る。

私は、己の思い半ばで、死ぬ可能性が高い・・・それが解るから、後世に伝えたいと、息子達に口酸っぱく言っている。

逃げる事は簡単だが、学ぶ事が出来ない・・・・・己が死守する場と言う覚悟が、最初・初心に成るなら・・・当然、それを最後まで、環椎する事に成る。

その結果、多くの事を学べると私は信じている。

要は、守る為の学び・・・この部分が無ければ、家庭と言う集団さえ作れない人間に成る。

息子達には、最低でも、家庭人として己の家位は守れる人に成って欲しいと言う思いが、私には有る。

当然、現代は、お嬢様を育てる、家庭・社会教育を受けた、女性が多いから、その様な人も守れる最低限の思いは必要と言う事に成る。

当然、息子達も己の分を解って、選んでいると思う・・・勿論、お嬢様は無理と思っていると思うが・・・現実は、甘くない・・・・

特に、己の思う様になる事を良いと言う教育を受けている。簡単に書けば、己本位主義の我儘な人が多いと言う事、全て己が基準と言う考えに成る。

それが出来る事を望んでいるし、その様な環境は当然、提供してもらえると思っている。

それが出来る、力が有るか無いか????・・・息子達は解っていると思う。

私が言う、苦労した娘を探せ、体が頑丈な女を探せ・・・嫌いな肩書・様相より大事な部分と言っているが・・・・

昔の人が言っていたが、嫁は、その親・祖父母の振舞いを見て、選べと言われていた。

親や祖父母が派手に見えると言う事は、それを娘は普通お思っている。当然、派手と思っているのは己に成る。合う訳が無い・・・・

又、世間的には普通の振舞いでも、己には派手に見える・・・之も己の力を基準に考えると、高嶺の花と成る。

私は欲が深い・・・その為に、己が先ず最初に美味い物を食べたいと考えるなら、二番手・三番手でも良いと言う人が必要に成る・・・若し、全ての人が一番手を目指すなら争いが絶えないと成る。

多くを望み得たいと考えている人が居るなら・・当然、多くを無くす人も居ると言う事・・・

要は、支える人が必要と言う事に成るし、間違っても虐げられていると言う捉え方をする人は成れないと言う事にも成る。

現象に対しての捉え方が大事と言う事に成る。


 

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