2019年6月1日土曜日

体が・・キツイ・・・

朝から、居間で・・・寝たり起きたりを繰り返している。

何もしたくない・・・・多々することが有るが・・・

今日は、気分が・・・・・

本来、休む等々・・・言えるレベルでない・・・
能力が無いなら・・・数で対応する方向に成る。

数に成れば、当然、体を多々使う事に繋がっているが・・・この体が思う様に成らない・・・

嫁は、庭の手入れを頑張っている。
本来、私が行う事なのだが・・・嫁は、顔を真っ赤に日焼けしながら頑張っている。

後始末等々の、負の部分の後継者が育っていない為に・・勿論、我々年代の責任になるし、体が続く間は、この様な事を頑張る事に成る。

私が若い頃は・・・この様な下働きは若者がすると母から言われていた。
勿論、言われる側も、向かいの価値観でない、テレビ等で教えられる価値観が楽だと思っていたし、反発する方向が強かったが・・・親元に残る事は、逃げる事も出来ず、又親が強ければ、従う事に成る。

結局は、この感覚が、後世の人に対しての私達年代の、取り組み方が、変わったことに成る。
本来、人は、親が居るから、生まれているし・・・地域社会が有ったから、成長も出来、教育も受けている。

この恩に対して・・・答える・・・当然と思うが・・・之を負と捉えたら・・・恩も忘れて、自分だけの為に生きる道が正しいと成って行く・・・

しかし、この方向が、正しいと進み過ぎが・・・・結果、田舎は虫食いだらけになる。

目先の損得勘定が、全てを支配する事に成って行く・・・・

忘れ去られた、人々が・・・田舎には多々居る・・・当然、誰かが背負う事に成るし肩を貸す事に成る。
しかし、その人材が居ない・・・何故なら損得勘定が基本の価値観の蔓延が有るからに成る。

勿論、一流で優秀な力のある人が・・・田舎にも多々居ればよいが・・・自分の欲で手一杯と言う、レベルだから、一流の人は少ない・・・・

この状況を見ると、先に何度も書いているが・・・人が何故か、トカゲの尻尾を目指していると見える。

思いや大志も無く、単純に欲と言うもので、右往左往している様に見える。

哀れに私は見える事に成る。


家の管理義務も有る。当然、地域社会の美観に繋がる部分も有る・・・・

何時も感心すのが・・・遠縁に当たる、前の大きな家のオバサン・・・旅館の様な家だが・・一人暮らし・・・高校の先生もされ・・・昔ならエリートに成る。
その当時でも、都会的感覚があった人に成る。

結婚もされず・・・両親が亡くなり、独りになられた・・・寂しさのあまり、高齢で結婚・・・しかし、10年ほどで夫が亡くなる・・・又、独りに戻られた。

今は、90歳を超え・・自分の身の回りが出来なく、施設に入られたら・・・家の管理で半年ごとに業者が、手入れ等々を行っている。

何度か書いているが、厳然と有るものは、当然、管理・維持という守りが必要に成る。

この部分を、教える人が必要だし、当然、大事さの部分に成る。

恩を感じる・・直接的、恩も感じない人が増えている。当然、間接的、恩等々に気付く事は無いと思う・・・

私も、先祖と言っても、祖父の思いでしかない・・・物心ついた時には、祖父以外、居なかった・・・・しかし、祖先が居るから、今の私が有ると、教えてもらい、結果的に恩をン時る事が出来るように成った。

恩を感じれば、義務も見えだすと思う・・・・

過去に感謝出来ない生き方が、私は、不幸だと考えている。
今の積み重ねが、過去と成って行く・・・

私が知る人は、今の幸せを強く求め・・・その欲の赴くままに、生きた結果、過去に感謝できず。勿論、自分が原因とは気付かず・・・他を恨んで、死んだ人も居る。

考え様では、全て自分に原因が有ると考えれば、社会の問題も当然、自分となるし・・・家庭の問題も、自分と成る。

当然、私も少しは学んでいるので・・・その範囲で最善策を試みても、駄目の場合が多い・・・原因は????・・・・当然、私の知恵不足となる。

勝負の世界で「我が身を切って・・相手の骨を断つ」という言葉が有る。
勝つという事は、我身も痛めるという事にも成る。

勝者も、痛めるなら・・・・弱い立場の私は当然、痛める以上の覚悟が必要に成る。

この部分を当然と考えるか????・・・負は絶対認めないと考えるか???・・・
これも、社会や家庭の教育に成る。

誰かが、背負う・・・この誰か????・・・・当然、各自に成る。
しかし、身体的・知能的、問題で処理できない、家も有る。
本来は、親族の出番で、事の処理は出来る筈だが・・・
負に成る部分、中々、現代は居ない様だ・・・

結果、地域にその責任が、出て来ているのが現代に成る。
しかし、地域社会も、気薄に成って来ている。

意識のある人を、創る事が求められている・・・当然、少数に成るがし、その分、重荷を一人で背負う事に成る。


この部分も、私の仕事で、商品がトラックで来るが・・・当然、独りのドライバーではキツイ・・・注文者の私だから解る部分に成るので・・・私は、事務所で待って、手伝うが・・・この行動が、最近は少ないと、ドライバーが言っていた。

話を聞くと・・・トライバーも当然、人間、無理な仕事なので、落としたりする・・仕方が無い・・・保険が有ると・・・この様な考え方になっている。
物だから、許されるのかも知れないが・・・若し、人なら・・・・怖いと私は考えている。

しかし、その状態に成っている気もする。
地域の困ったチャンの家の処理をしたが・・・
誰しも、知って居て、手を貸さない・・・・損と考えるのか???自己保身が強いのか・・・見て見ぬ振り・・・・
又、他の部分に責任が有ると、親族や、行政への責任転換・・・
その家族が、関係した、職場の会社・・・等々、少しの縁が有るところにと、責任を転換する、流れが、我が田舎にもある。

知って居て、何もしない・・・之ほど、人間として卑怯な生き方はないと私は考えている。
私なら、この様な事に成れば、悔いが残る・・・
勿論、行動力が必要に成り、今の私だと、無理と感じるが・・・

若者が、地域参加する・・・之が求められる時代にも成っている。

私の場合、知恵の部分は、諸先輩が居た・・・単純に動く・・これで処理が出来た。
当然、時間と費用も必要に成るが・・・出来る範囲に成る。

一軒の命か係わると成れば、些細な事だと思う事にしている。

諺で「情けは人の為に成らず」と有る・・・その通りである。多々の知恵を私は頂いた。
この事は、情けは、自分を育てる・・・その人に感謝の念まで湧くことに成る。

今、考えると、この様な事柄が無かったら・・・私は自殺していたと思うし・・・当然、今の家族も、路頭に迷わせたと思う。

利己主義で、自分勝手・・この価値観から抜け出す事も出来なかったと思うし、私の周り全てを、憎み・恨み・・続けていたと思う。









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