四男の妻の、腹帯・・・妊娠五ヶ月にする行事に成るが・・・・・
当然、今回もしたいと、若妻が言っていると、四男が言っている。
お祝い行事にも成る、当然行おうと思っているが、問題が、その規模・・・我が地域は、第一子の時は盛大にするし・・・当然、親族等にも、餅や赤飯を配る。
しかし、第二子以降は、内輪で行う事が一般的に成っている。
しかし、若嫁はその理屈を理解できず、怒っているらしい・・・理由は同じ子、差別と思っている様だ・・・
本来、この様な行事は、家と言う単位で行う・・・昔は家の財布・大蔵省は一人が行っていた。我家の場合は、私の母に成る・・・結果、母がお金を出して行っていた。
勿論、母に全ての稼ぎを上納していた為に、母が行う、家が行うと言う形だった・・・
しかし、一切、家に上納しない状態で、家がするべきと言い張る、若嫁と言う事に成る。
国の形と同じ、国がお金を稼ぎだしている訳でない・・・住んでいる国民が上納をしているので、国にお金が有る、当然、国と言う単位で使う事に成る。
家も同じと私は考えているが・・・・何故か上納をしないで、権利だけは主張する・・・国がするべきと同じで、家がするべきと、言う家族が最近は増えていると、耳に入る。
子のお祝い・・・当然、親がする事が当然と思う。
理由は、家と言う単位に、上納もしていない為に成る。
私は、変わり者、異端児と己で自署しているので、家が出来ないと言う事で恥とは思わない。恥ずかしいとも思わない・・・家が昔はしていたが、現代は、お金の管理が個人に移っている為に、家と言う単位にお金が無い・・
若し、見栄等で、家の恥と捉え、行おうとすれば、当然、誰かに負担が掛かると言う事に成る。それが現代は祖父母に当たる、親の親と言う事に成る。
この様な状態に成れば、この様なお祝い事も、廃れて行く事に成る。理由は、誰も、お金を出す人が居ないと言う形に成るからに成る。
私は、差別主義者と家族から言われるので、当然、私の思い、優先順位等を言う・・・しかし、それを差別と捉える家族も居ると言う事・・・・
息子達には、幼い頃から、兄弟でも立場の違い、並ぶ順序等を言っていた。しかし、最近の教育では、有りえない教育に成る。
兄や弟と有る様に、厳然と違いが有る。若し、この様な違いも認めたら、差別と成るなら、兄・弟と言う、言葉も無くす事が大事だと思うし、当然、男女平等等と言うなら、男女と言う言葉も無くす方向にしなければ成らないと思う。
しかし、厳然と有る、服も、女性用・男性用として有る。
行き過ぎた平等思想が、結果として、人の個性迄、統一化する方向に向かう、之を私は平等とは考えていない。
私は、立場は違うが、同じ人間として思えるかどうかの部分が平等だと考えている。
上も下も無い、しかし、立場や個性等、多々の違いが有る。
皆を平等・・・例として、フワちゃんと言う、タレントが今、活躍している、タメ語で話す。だれかれ区別せず、同じスタンスで話す・・・区別が無いし、之を平等と考えるなら、お店の応対もそれが通用するはず。
しかし、現実は、違う・・・
しかし、若い子に之を説明するのも難儀する・・・・理由は、姉妹が居ても、親が平等に扱い過ぎたからだと思う。昔なら、上の子のお古を下は使っていた。
子供の頃から、違いを実感していたが・・・この様な人が今後増える・・・年期や経験値等全く、加味しない、平等と言う扱いたかた求められることに成る。
若し、同じ職場に、この様な感覚の人が増えだせば、何の為に、何年も苦労を重ね、今の立場を手にしたと言う、苦労も、意味を持たなくなる。
完全なる、社会主義国家の様な、環境と言う事に近付く・・同じ職種なら経験度合い等、関係なく、同じ対価・・・この様に成れば、当然、頑張る事がバカバカしくなることに成る。
現実には、始まっていると言う、話が耳に入っている。
難しい、問題・・・何が差別かを理解させる事の難しさに成る。
私は、個人主義が差別の根源と考えている。
究極は、己と他人、どっちが大事か???・・・ここに行き着く・・・差別はダメだと簡単に言えるが、無くならない理由に成る。
今回の件も、私には力が無い、今回は自分達でしてくれと言ったら、当然、有りえない・差別と言うと思うが、するだろうか????・・・しないと思う。
理由は、家がしてくれなかったと言う理由で・・・・
する理由が私には無い・・・費用を捻出し、行った、その時頂いた、お祝いのお金、当然の様に、私の物と取り立てる立場が有る。
昔は、費用を捻出した方に、その様なお金は上がって来ていたが・・・最近は受け取った本人のポケットに入るだけに成る。
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